原文
於保伎美能 美許等可之故美 於保夫祢能 由伎能麻尓末尓 夜杼里須流可母
作者
遣新羅使(けんしらぎし)の雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)
よみ
大君(おおきみ)の、命(みこと)畏(かしこ)み、大船(おほぶね)の、行(ゆ)きのまにまに、宿(やど)りするかも
意味
天皇の仰せを謹んでお受けし、大船の進むに任せて、宿をとることです。
補足
この歌の題詞に、「佐婆(さば)の海中で忽(たちまち)に逆風に遭(あ)い、漲(たた)える浪(なみ)に漂流した。宿すことを經(へ)て後に、幸いに順風を得て豊前國(ぶぜんのくに)の下毛郡(しもつみけのこおり)の分間浦(わくまのうら)に到着した。 ここに艱難(かんなん)を追いて怛(いた)み、悽惆(せいちゅう:心が痛むこと)して作る八首」とあります。
※「佐婆(さば)の海中」は現在の防府市沖の周防灘付近、「分間浦(わくまのうら)」は現在の大分県中津市の海岸と考えられています。