原文

皇神祖之 神乃御言乃 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極此疑 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 歌思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸處

作者

山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)

よみ

すめろきの、神の命(みこと)の、敷(し)きませる、国のことごと、湯はしも、さはにあれども、島山(しまやま)の、宣(よろ)しき国と、こごしかも、伊予(いよ)の高嶺(たかね)の、射狭庭(いざには)の、岡に立たして、歌思ひ、辞(こと)思はしし、み湯の上(うへ)の、木群(こむら)を見れば、臣(おみ)の木も、生ひ継ぎにけり、鳴く鳥の、声(こゑ)も変らず、遠き代に、神さびゆかむ、幸(いでま)しところ

伊佐尓波(いさにわ)神社 撮影(2011.04.21) by きょう

意味

神である天皇が治められている国中に温泉はたくさんありますが、その中でも特に島や山がすぐれた国として、けわしい伊予(いよ)の高嶺(たかね)の、射狭庭(いざには)の岡にお立ちになって、歌を思い、言葉を選ばれた、この温泉の木々を見ると、臣(おみ)の木も生い茂っています。鳴く鳥の声も変わらずに、遠い末の世まで、神々しくなってゆくでしょう、この行幸(ぎょうこう)の跡は。

補足

この歌の題詞には、「山部宿祢赤人(やまべのすくねあかひと)が伊豫温泉(いよのゆ)に至って作る歌一首[ならびに短歌]」とあります。

伊予(いよ:現在の愛媛県)には、この歌が詠まれた時より昔に、舒明(じょめい)天皇・斉明天皇の行幸(ぎょうこう)がありました。

臣(おみ)の木は、もみの木とされています。

更新日: 2011年05月19日(日)