原文 Original Text
父母我 等能々志利弊乃 母々余具佐 母々与伊弖麻勢 和我伎多流麻弖
作者 Author
生玉部足國(みむべのたるくに) Mimube-no-Tarukuni
よみ Reading
父母(ちちはは)が、殿(との)の後方(しりへ)の、ももよ草、百代(ももよ)いでませ、我(わ)が来(きた)るまで
- Chichi haha ga Tono no shirihe no Momoyogusa Momo yo idemase Wa ga kitaru made.
意味 Meaning
父母(ちちはは)がお住まいの館の裏のももよ草のように、いついつまでもお元気で、私が戻るときまで。
- rough meaning: May my father and mother be forever well, like the MomoyogusaSakimori who were dispatched to Chikushi as replacement personnel on February 6, Tenpyo-Shoho 7th year (755 AD).)
・天平勝寳(てんぴょうしょうほう)7年(755)2月6日に交替要員として筑紫(ちくし)に派遣(はけん)された防人(さきもり)たちが詠んだ歌のひとつです。
補足 Notes
この歌を含む4321番歌の題詞には、「天平勝宝7年(西暦755年)2月6日、交替で筑紫(つくし)に遣(つか)わされる諸國(しょこく)の防人(さきもり)らの歌」とあります。