原文

和我都麻母 畫尓可伎等良無 伊豆麻母加 多妣由久阿礼波 美都々志努波牟

作者

遠江国長下郡(現在の浜松)の物部古麻呂(もののべのこまろ)

妻 イラスト by 山中ルリ子さま

よみ

我が妻も、絵(ゑ)に描(か)き取らむ、暇(いつま)もが、旅行く我れは、見つつ偲(しの)はむ

意味

私の妻の絵でも描く時間があったなら、旅の道中で(描いた絵を)見て妻のことを偲ぶことができるのに。

補足

この歌の題詞には、「天平勝宝7年(西暦755年)2月6日、交替で筑紫(つくし)に遣(つか)わされる諸國(しょこく)の防人(さきもり)らの歌」、とあります。

また、この歌の左注には、「天平勝宝7年(西暦755年)2月6日、防人部領使(さきもりぶりょうし)遠江国の史生(ししょう)坂本朝臣人上(さかもとのあそんひとかみ)が進(たてまつ)る歌の数、十八首。但し、拙劣(ちせつ)な歌十一首はこれを取載(とりの)せない。」、とあります。

更新日: 2013年05月12日(日)