原文

於保吉美能 美許等可之古美 伊蘇尓布理 宇乃波良和多流 知々波々乎於伎弖

作者

助丁(じょてい:防人の階級のひとつ)丈部造人麻呂(はせつかべのみやつこひとまろ)

海 撮影 by きょう

よみ

大君(おほきみ)の、命(みこと)畏(かしこ)み、磯に触(ふ)り、海原(うのはら)渡る、父母(ちちはは)を置きて

意味

大君(天皇のこと)の命令に従い、磯づたいに海原を渡ります。父母を(故郷に)残したまま。

補足

この歌の題詞には、「天平勝宝7年(西暦755年)二月、交替で筑紫(つくし)に遣(つか)わされる諸國(しょこく)の防人(さきもり)らの歌」、とあります。

また、この歌の左注には、「天平勝宝7年(西暦755年)二月七日、相模國(さがみのくに)防人部領使守(さきもりぶりょうしかみ)従五位下(じゅごいげ)藤原朝臣宿奈麻呂(ふじわらのあそんすくなまろ)がたてまつった歌の數は八首。但し、拙劣(ちせつ)な歌五首はこれを取載(とりの)せない。」、とあります。

更新日: 2014年07月27日(日)