原文
思具礼能雨 無間莫零 紅尓 丹保敝流山之 落巻惜毛
作者
不明
よみ
時雨(しぐれ)の雨、間(ま)なくな降りそ、紅(くれなゐ)に、にほへる山の、散らまく惜(を)しも
意味
時雨(しぐれ)の雨、間なく降らないで。紅に色づいた山の紅葉が散ってしまうのが惜しいことです。
補足
この歌の題詞には、「佛前(ぶつぜん)唱歌(しょうか)一首」とあります。
この歌の左注には、「冬十月、皇后宮(ここでは光明皇后のこと)の維摩講(ゆいまこう: 維摩経という仏典の講義)で、終日、大唐や高麗等の種々の音樂によって供養し、そのときこの歌詞を唱いました。琴を弾いたのは市原王(いちはらのおおきみ)、忍坂王(おさかのおおきみ)[後に大原真人赤麻呂(おおはらのまひとあかまろ)の姓を賜まわのした。] 歌ったのは、田口朝臣家守(たぐちのあそんやかもり)、河邊朝臣東人(かわべのあそんあずまと)、置始連長谷(おきそめのむらじはつせ)等、十數人てした。」とあります。