2007年01月21日(日)更新 |
万葉集の歌には「見越(みごし)の崎」と詠まれていて「稲村ガ崎」だという決定的証拠は無いようです。同じ鎌倉の、「腰越(こしごえ)の崎」とか「長谷の御輿(みこし)が嶽」ともいわれています。 元弘3年(1333)、鎌倉幕府打倒のために戦った新田義貞(にったよしさだ)が、ここ稲村ガ崎を突破できずに攻めあぐねていたとき、海中に太刀を投げ入れて神に祈ったところ潮が引いたため、軍が鎌倉に突入できたという話があります。これは、「太平記(たいへいき)」の巻十、稲村ガ崎干潟と成る事、に載っています。また、「梅松論(ばいしょうろん)」という書物にもこの事件のことが載っているそうです。 |
3365: 鎌倉の見越しの崎の岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ |