長門(ながと)の島
長門(ながと)の島は、現在の広島県呉市の南にある倉橋島(くらはしじま)で、北側の音戸町と南側の倉橋町とで構成されています。倉橋町の桂浜(かつらがはま)には造船歴史館があり、実物大に復元された遣唐使船が展示されています。
長門(ながと)の島を詠んだ歌
万葉歌には、長門の島、長門の浦と詠まれています。
万葉集巻十五には、天平八(西暦736)年、遣新羅使(けんしらぎし)が安芸国長門島に停泊したときの歌や船出の歌が詠まれており、その中に松原のことがうたわれていますが、この松原が倉橋島桂浜にあたるものと考えられています。
3243: 娘子らが麻笥に垂れたる続麻なす長門の浦に.......(長歌)
3244: 阿胡の海の荒礒の上のさざれ波我が恋ふらくはやむ時もなし
安芸の国の長門の島にして磯辺に船泊りして作る歌五首
3617: 石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ
3618: 山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
3619: 礒の間ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて
3620: 恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも
3621: 我が命を長門の島の小松原幾代を経てか神さびわたる
長門の浦より船出する夜に、月の光を仰ぎ観て作る歌三首
3622: 月読みの光りを清み夕なぎに水手の声呼び浦廻漕ぐかも
3623: 山の端に月傾けば漁りする海人の燈火沖になづさふ
3624: 我れのみや夜船は漕ぐと思へれば沖辺の方に楫の音すなり
補足
3244番の歌に詠まれている「阿胡(あご)の海」は、倉橋島と呉市の間に挟まれる阿賀の海ではないかと考えられています。この歌は、長門(ながと)の島を詠んだ歌とはいえないかもしれませんが、とりあえずここに載せておきます。