万葉集: 難波宮(なにわのみや)
2010年01月03日(日)更新 |
難波は、大化元年(645)孝徳天皇の時と天平16年(744)聖武天皇の時の二度、都として定められました。 聖武天皇は、神亀3年(726)、藤原宇合(ふじわらのうまかい)を知造難波宮事(難波宮の造営のための長官)に任命し、難波の宮の造営をしました。結果、天平16年(744)都に定めることができました。しかし、その翌年には、奈良の都にもどることになります。 現在は、地下鉄「谷町4丁目」駅からすぐの場所に、「難波宮跡」として保存されています。 |
0312: 昔こそ難波田舎と言はれけめ今は都引き都びにけり 0929: 荒野らに里はあれども大君の敷きます時は都となりぬ 0933: 天地の遠きがごとく日月の長きがごとく.......(長歌) 0067: 旅にしてもの恋ほしきに鶴が音も聞こえずありせば恋ひて死なまし 1062: やすみしし我が大君のあり通ふ難波の宮は.......(長歌) 1063: あり通ふ難波の宮は海近み海人娘子らが乗れる舟見ゆ 4360: 皇祖の遠き御代にも押し照る難波の国に.......(長歌) 4361: 桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなへ |