万葉集: 多芸(たぎ)

2010年01月03日(日)更新


簡略地図

現在の岐阜県養老郡養老町の養老の滝の付近と考えられています。

万葉集には2首あり、多芸(たぎ)の野、として登場します。 1034番の歌では、題詞に「美濃國の多芸(たぎ)の行宮(かりみや)で大伴東人が作った歌」との紹介があります。

1034: いにしへゆ人の言ひ来る老人の変若つといふ水ぞ名に負ふ瀧の瀬

1035: 田跡川の瀧を清みかいにしへゆ宮仕へけむ多芸の野の上に


「養老の滝」の故事

奈良朝2代目の女帝・第44代元正天皇の御代、岐阜県南西部、濃尾平野西端の養老で、孝行息子が滝の水を汲んで帰り、年老いた父に飲ませた所、水はいつの間にか美味しいお酒に変わっていて、老父は大変喜びました。そこで、この滝を誰言うとなく、「養老の滝」と名付けましたが、この孝行話が女帝の耳にも達して、その年の年号・霊亀を、11月17日に養老元年(717年)と改めたということです。

撮影 by きょう

十訓抄、古今著聞集より

霊亀3年(717年)9月某日元正天皇がこの地に行幸され、男の至孝に感じ天地の神が神徳を現したものと感動され、孝子を美濃守に任じ、滝の名を「養老の滝」と名付け、年号を養老に改めた。

続日本紀より

朕今年九月を以て美濃国不破の行宮に到り、留連数日、因りて当耆郡(たぎノこほり)多度山の美泉を覧て自ら手面を盥(あらひ)しに、皮膚滑なるがごとし。・・・又就きて之を飲み浴する者は或は白髪黒に反り、或は頽髪更(あらた)に生じ、或は闇目明なるがごとし。自余の痼疾ことごとく皆平癒す。昔聞く、後漢の光武の時に醴泉出づ。これを飲む者は痼疾皆癒ゆと。符瑞書に曰く、醴泉は美泉なり、以て老を養ふべしと。蓋し水の精なればなり。寔に惟(おもんみ)るに美泉は即ち大瑞に合へり。朕庸虚なりと雖も、何ぞ天呪に違はむ。天下に大赦すべし。霊亀三年を改めて養老元年となし


万葉の故地【全国】