原文
多■(示+ 古)乃浦能 底左倍尓保布 藤奈美乎 加射之氐将去 不見人之為
作者
内蔵縄麻呂(くらのつなまろ)
よみ
多胡(たこ)の浦(うら)の、底さへにほふ、藤波(ふぢなみ)を、かざして行かむ、見ぬ人のため
意味
多胡の浦の、底までも輝くほどの藤の花を髪飾りにして行きましょう。まだ見ない人のために。
「多胡の浦」は、現在の富山県氷見市にあった湾と考えられています。ちなみに、氷見市下田子には藤波神社があります。
補足
天平勝宝2年(西暦750年)に詠まれた歌で、この歌の題詞には、「十二日、布勢(ふせ)の水海(みずうみ)に遊覧したとき、多胡の浦に船泊まりし藤の花を望み見て、各(おのおの)懐(おもい)を述べて作る歌四首」とあります。