原文 Original Text

河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手

作者 Author

吹芡刀自(ふふきのとじ) Fufuki-no-toji

よみ Reading

川の上(へ)の ゆつ岩群(いはむら)に 草生(む)さず 常にもがもな 常処女(とこをとめ)にて

- Kaha no he no Yutsu ihamura ni Kusa musazu Tsune ni mogamo na Toko-wotome nite.

意味 Meaning

清流の岩 by 写真AC

川辺の神聖な岩々に草や苔が生えることなくあるように、いつまでも私(たち)も永遠の乙女でありますように。

・天武四年(西暦675年)に十市皇女(とをちのひめみこ)と阿閇皇女(あへのひめみこ)が伊勢神宮に参った時に、お供の女官のひとりである吹芡刀自(ふふきのとじ)が詠んだ歌です。

- rough meaning: May I(or we) be forever virgins, just as grass and moss do not grow on the sacred rocks of the river.(This poem was written by Fufuki-no-toji who was one of the court ladies who accompanied Toochi-no-himemiko(Princess Toochi) and Ahe-no-himemiko(Princess Ahe) to Ise-Jingo(Ise Grand Shrine) in 4th year of Emperor Tenmu(675 AD).)

補足 Notes

この歌の題詞に「十市皇女(とをちのひめみこ)、伊勢神宮(いせのかむみや)に参(ま)ゐ赴(おもぶ)く時に波多(はた)の横山(よこやま)の巌(いはほ)を見て、吹芡刀自(ふふきのとじ)の作る歌」とあります。波多(はた)の横山(よこやま)は現在の三重県津市から志町あたりではないかと考えられています。

この歌の左注に「吹芡刀自(ふふきのとじ)は未だ詳(つまび)らかならず。 但し、紀(日本書紀のこと)に曰く 『天皇四年乙亥(いつがい)春二月、乙亥(いつがい)の朔(つきたち)の丁亥(ていがい)、十市皇女(とをちのひめみこ)、阿閇皇女(あへのひめみこ)伊勢神宮(いせのかむみや)に参(ま)ゐ赴(おもぶ)く』といふ。」とあります。

更新日: 2023年03月26日(日)