2002年4月21日(日)更新 |
孝徳天皇(こうとくてんのう)の息子さんです。に蘇我赤兄(そがのあかえ)に謀(はか)られて天皇への反乱をしようとしたとして、蘇我赤兄(そがのあかえ)に捕らえられ、藤白坂(ふじしろさか)で絞首刑とされました。 このとき、わずか19歳のときでした。万葉集には、有間皇子が紀の湯に連行される途中に作った歌2首があります。 |
概要 | 備考 | ||
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出自 | 生年・没年 | 舒明(じょめい)12年(640) ~ 斉明(さいめい)4年(658) | |
家族 | 父 : 孝徳天皇(こうとくてんのう) 母 : 小足媛(おたらしひめ) |
小足媛(おたらしひめ)は阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の娘さんです。 | |
主な活動 |
斉明3年(657)9月、気がふれたかのように装って、治療と称して「牟婁温湯(むろのいでゆ)」に行く。 斉明4年(658) | 牟婁温湯(むろのいでゆ)、紀の湯は、現在の和歌山県の白浜温泉とのことです。 | |
その他 |
0141: 磐白の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む 0142: 家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る |