原文
打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀文吾子
諾々名 母者不知 諾々名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺 卜細子 彼曽吾攦
作者
不明
よみ
うちひさつ 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫(ぬ)き 夏草(なつくさ)を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通(かよ)はすも我子(あご)
うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結(ゆ)ひ垂(た)れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押(おさ)へ刺す うらぐはし子 それぞ我が妻
意味
(親子の対話風になっています)
三宅(みやけ)の原を素足で歩いて足を傷つけて、夏草(なつくさ)を腰にからませて、いったいどなたの娘さんのところに通っているの、息子よ。
なるほどなるほど母は知らないでしょう。ごもっともごもっとも父も知らないでしょう。豊かな黒髪に木綿であざさを結い垂らし(髪飾りにし)、大和の黄楊(つげ)の櫛(くし)を押さえ刺している、とても美しい娘さん。それこそが私の妻なのです。
・「うちひさす」は、三宅(みやけ)を導く枕詞です。
・「蜷(みな)の腸(わた)」は、蜷(にな:巻貝の一種)の腸が黒いところから「か黒き」を導く枕詞です。
補足
・「三宅の原」は現在の奈良県磯城郡三宅町とされています。