第三巻 : 天雲の向伏す国のますらをと言はれし人は
2006年06月18日(日)更新 |
原文: 天雲之 向伏國 武士登 所云人者 皇祖 神之御門尓 外重尓 立候 内重尓 仕奉 玉葛 弥遠長 祖名文 継徃物与 母父尓 妻尓子等尓 語而 立西日従 帶乳根乃 母命者 齋忌戸乎 前坐置而 一手者 木綿取持 一手者 和細布奉 平 間幸座与 天地乃 神祇乞祷 何在 歳月日香 茵花 香君之 牛留鳥 名津匝来与 立居而 待監人者 王之 命恐 押光 難波國尓 荒玉之 年經左右二 白栲 衣不干 朝夕 在鶴公者 何方尓 念座可 欝蝉乃 惜此世乎 露霜 置而徃監 時尓不在之天 作者: 大伴三中(おおとものみなか) よみ: 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す国の ますらをと 言はれし人は 天皇(すめろき)の 神の御門(みかど)に 外(と)の重(へ)に 立ち侍(さもら)ひ 内(うち)の重(へ)に 仕(つか)へ奉(まつ)りて 玉葛(たまかづら) いや遠長(とほなが)く 祖(おや)の名も 継(つ)ぎ行(ゆ)くものと 母父(おもちち)に 妻(つま)に子どもに 語(かた)らひて 立ちにし日より たらちねの 母の命(みこと)は 斎瓮(いはひへ)を 前に据(す)ゑ置(お)きて 片手(かたて)には 木綿(ゆふ)取り持ち 片手には 和栲(にきたへ)奉(まつ)り 平(たひら)けく ま幸(さき)くいませと 天地(あめつち)の 神を祈(こ)ひ祷(の)み いかにあらむ 年月日(としつきひ)にか つつじ花 にほへる君が にほ鳥の なづさひ来(こ)むと 立ちて居(ゐ)て 待ちけむ人は 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み おしてる 難波(なには)の国に あらたまの 年(とし)経(ふ)るまでに 白栲(しろたへ)の 衣(ころも)も干(ほ)さず 朝夕(あさよひ)に ありつる君は いかさまに 思ひませか うつせみの 惜(を)しきこの世を 露霜(つゆしも)の 置(お)きて去(い)にけむ 時にあらずして |
意味: 天雲(あまくも)のずっと遠い国の男と言われる人は、天皇の宮の外に立って護(まも)り、宮の内で仕(つか)えて、玉葛(たまかづら)のように永くく絶えることなく、先祖の名も継(つ)いで行(ゆ)くものだと、母父や妻(つま)や子どもに語って旅立った日から、母は斎瓮(いはひへ)を前に置(お)いて、片手(かたて)には木綿(ゆふ)を持ち、片手には柔らかな布を持ってお奉(まつ)りし、無事でで幸せであって欲しいと、天地(あめつち)の神を祈り、何年何月何日に明るく美しい君が波を越えて帰ってくるかと、(母が)立ったり座ったりして待っていたその人(大伴三中)は、天皇の命令をうやうやしく受け、難波(なには)の国に何年も白栲(しろたへ)の衣(ころも)も洗う暇(ひま)もなく朝夕となく忙しく働いている君(大伴三中)は、どんな風に思ったのか、この世を置(お)きて去(い)ってしまった。まだ死ぬべき時ではないのに・・・ |
天平元年(西暦729年)、攝津国(せっつのくに:今の兵庫県と大阪府の一部)の班田史生(はんでんししょう)の役職についていた丈部龍麻呂(はせべのたつまろ)が自(みずか)ら首をくくって死んだ時に、大伴宿祢三中(おおとものみなか)が詠んだ歌です。 斎瓮(いはひへ)は、神事用の器のことです。木綿(ゆふ)も神事用の布のことです。 「つつじ花」は、「にほへる」を導く枕詞として使われています。 |