原文
海原乎 夜蘇之麻我久里 伎奴礼杼母 奈良能美也故波 和須礼可祢都母
作者
遣新羅使(けんしらぎし)
よみ
海原(うなはら)を、八十島(やそしま)隠(がく)り、来(き)ぬれども、奈良の都は、忘れかねつも

意味
海原を、たくさんの島々を通って来たのですが、奈良の都のことは忘れられません。
「八十島(やそしま)」は、たくさんの島々のことです。八十(やそ)は数が多いことをあらわしています。
補足
天平八(西暦736)年、遣新羅使(けんしらぎし)が鞆の浦を経て長井の浦で船泊した夜に詠んだ歌、三首のうちのひとつです。
この歌の題詞には、「備後國(びんごのくに:現在の広島県の東部)水調郡(みつぎのこおり:現在の尾道・三原付近)長井浦(ながいのうら)に舶を泊めた夜に作る歌三首」とあります。