奈良の都/平城京(へいじょうきょう) Nara-no-Miyako/Heijyokyo

平城京(へいじょうきょう)

元明天皇の和同3年(西暦710年)3月に藤原京からあわただしく平城京への遷都がなされました。以降、桓武天皇の延暦3年(784)年までの間、都として機能しました。ただし、天平12年~17年は、恭仁(くに)・紫香楽(しがらき)・難波(なにわ)に都が移されています。

この時代は、元明天皇・元正天皇・聖武天皇孝謙天皇・淳仁天皇・称徳天皇(孝謙天皇に同じ)・光仁天皇・桓武天皇と続きました。

- In March of Empress Genmei's Wado 3rd year(710 AD), the capital was hastily transferred from Fujiwara-kyo to Heijo-kyo. After that, Heijo-kyo functioned as the capital until the 3rd year of Enryaku (784) in the reign of Emperor Kanmu. However, the capital was moved to Kuni, Shigaraki and Naniwa only from Tenpyo 12 to 17(740 - 745 AD).

奈良の都を詠んだ歌 Poems

平城京(へいじょうきょう)

万葉集には20首以上に詠まれています。都を離れて、都を恋しく想う歌が目立ちます。

0079: 大君の命畏み柔びにし家を置き.......(長歌)

0328: あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり

0330: 藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君

0331: 我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ

0806: 龍の馬も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて来むため

0808: 龍の馬を我れは求めむあをによし奈良の都に来む人のたに

0843: 梅の花折りかざしつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ

0876: 天飛ぶや鳥にもがもや都まで送りまをして飛び帰るもの

0882: 我が主の御霊賜ひて春さらば奈良の都に召上げたまはね

1044: 紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき

1045: 世間を常なきものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば

1046: 岩綱のまた変若ちかへりあをによし奈良の都をまたも見むかも

1047: やすみしし我が大君の高敷かす大和の国は.......(長歌)

1048: たち変り古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり

1049: なつきにし奈良の都の荒れゆけば出で立つごとに嘆きし増さる

奈良 by 写真AC

1604: 秋されば春日の山の黄葉見る奈良の都の荒るらく惜しも

1639: 沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも

3602: あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも

3612: あをによし奈良の都に行く人もがも草枕旅行く船の泊り告げむに

3613: 海原を八十島隠り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも

3618: 山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも

3676: 天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ

3919: あをによし奈良の都は古りぬれどもと霍公鳥鳴かずあらなくに

4245: そらみつ大和の国あをによし奈良の都ゆ.......(長歌)

4266: あしひきの八つ峰の上の栂の木のいや継ぎ継ぎに.......(長歌)

4434: ひばり上がる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく

更新日: 2024年03月10日(日)