原文
紅尓 深染西 情可母 寧樂乃京師尓 年之歴去倍吉
作者
不明
よみ

紅(くれなゐ)に、深く染みにし、心かも、奈良の都に、年の経(へ)ぬべき
意味
紅(くれなゐ)に深く染まったように、心に深くしみこんだ奈良の都に、(これからの)年月を過ごせるものでしょうか。
補足

この歌の題詞には「寧樂京(ならのみやこ)の荒墟(こうきょ:荒れた跡)を傷(いた)み惜しんで作る歌三首 [作者不審]」とあります。
天平12年(西暦740年)、平城京から恭仁京への遷都がなされました。その際、大極殿(だいこくでん)などが解体・移築されたため、平城京はあっというまに荒廃がすすんだようです。