原文
八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢 皃鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀■丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男壮鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思煎敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞
作者
田辺福麻呂(たなべのさきまろ)歌集より
よみ
やすみしし、我が大君(おおきみ)の、高(たか)敷(し)かす、大和の国は、すめろきの、神の御代(みよ)より、敷きませる、国にしあれば、生れまさむ、御子(みこ)の継ぎ継ぎ、天(あめ)の下、知らしまさむと、八百万(やおよろず)、千年(ちとせ)を兼ねて、定めけむ、奈良の都は、かぎろひの、春にしなれば、春日山(かすがやま)、御笠(みかさ)の野辺(のへ)に、桜花(さくらばな)、木(こ)の暗隠(くれがく)り、貌鳥(かほどり)は、間(ま)なくしば鳴く、
露霜(つゆしも)の、秋さり来れば、生駒山(いこまやま)、飛火(とぶひ)が岳に、萩(はぎ)の枝(え)を、しがらみ散らし、さを鹿(しか)は、妻(つま)呼び響(とよ)む、
山見れば、山も見が欲し、里見れば、里も住みよし、もののふの、八十伴(やそとも)の男(を)の、うちはへて、思へりしくは、天地(あめつち)の、寄り合ひの極(きは)み、万代(よろづよ)に、栄えゆかむと、思へりし、大宮すらを、頼めりし、奈良の都を、新代(あらたよ)の、ことにしあれば、大君の、引きのまにまに、春花(はるはな)の、うつろひ変り、群鳥(むらとり)の、朝立ち行けば、さす竹の、大宮人(おほみやひと)の、踏み平(なら)し、通ひし道は、馬も行かず、人も行かねば、荒れにけるかも
意味
我が大君がお治めになる大和の国は、神の頃より治めてこられた国なので、お生まれになる皇子(みこ)が代々継がれて、天下を治められるだろうと、幾千万の未来まで見通してお定めになった奈良の都は、春になると、春日山、三笠の野辺に桜の花が咲き、木の下が暗くなるほど、貌鳥(かほどり)が絶え間なく鳴き続けます。
露霜(つゆしも)の秋になると、生駒山、飛火が岳に、萩(はぎ)の枝をからませ散らして、牡鹿(おじか)が妻を呼んで声を響かせる。
山を見れば見飽きることなく、里を見れば、住み良い。多くの大宮人(宮に仕える人)たちがずっと思っていたことに、天地が寄り合うほどの先まで、いついつまでも栄えるだろうと、思っていた大宮なのに、頼りにしていた奈良の都なのに、新たな代として、大君の仰せのままに、都を移し、朝立つように人々が去ってしまい、(いままで)大宮人たちが踏みならして通った道は、馬も行かず、人も行かないので、荒れてしまいました。
この歌にでてくる枕詞を以下にリストします。
- 「やすみしし」は「我が大君(天皇のこと)」を導きます
- 「露霜の」は「秋」を導きます
- 「群鳥の」は「朝立ち」を導きます
- 「春花(はるはな)の」は「うつろひ」を導きます
- 「さす竹の」は「大宮人」を導きます
貌鳥(かほどり)が何の鳥かはわかっていませんが、ホトトギス、カッコウなどの説があります。
補足
この歌の題詞には「寧樂(なら)の故郷を悲しんで作る歌一首 [并びに短歌]」とあります。
天平12年(西暦740年)、平城京から恭仁京への遷都がなされました。その際、大極殿(だいこくでん)などが解体・移築されたため、平城京はあっというまに荒廃がすすんだようです。