藤原宮(ふじわらのみや) Fujiwara-no-Miya
持統8年(694)~和銅3年(710)年、持統天皇(じとうてんのう)が中国の唐の制度を模して建てた都が藤原京です。その藤原京の政治の中心となったところが、現在の奈良県橿原(かしはら)市高殿(たかどの)町で、藤原宮(ふじはらのみや、ふじわらきゅう)と呼ばれるところです。
- Fujiwarakyo(694-710 AD) was the capital built by Empress Jito, imitating the Tang system in China. The place that became the center of the politics of the Fujiwara-Kyo is the present Kashiwara city, Nara Prefecture, where it is called Fujiwara-no-Miya.
藤原宮(ふじわらのみや)を詠んだ歌 Poems including Fujiwara-no-Miya
ここでは、題詞に「藤原宮」および「藤原京」が載っているものを含めてリストしています。ちなみに、「藤原京」という言葉は、「大君の命畏み柔びにし家を置き.....」という長歌(0079番歌)の題詞に出てくるだけです。
0028: 春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
0050: やすみしし我が大君高照らす日の皇子.......(長歌)
0052: やすみしし我ご大君高照らす日の皇子荒栲の.......(長歌)
0053: 藤原の大宮仕へ生れ付くや娘子がともは羨しきろかも
0078: 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ
0079: 大君の命畏み柔びにし家を置きこもりくの泊瀬の川に.......(長歌)
0080: あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな
0268: 我が背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり妻待ちかねて
2289: 藤原の古りにし里の秋萩は咲きて散りにき君待ちかねて