万葉集 第一巻 : やすみしし我が大君高照らす日の皇子
2010年01月03日(日)更新 |
原文: 八隅知之 吾大王 高照 日<乃>皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 桧乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須良牟 伊蘇波久見者 神随尓有之 作者: 役民(えきみん) よみ: やすみしし、我(わ)が大君(おほきみ)、高(たか)照(て)らす、日の皇子(みこ)、荒栲(あらたへ)の、藤原(ふぢはら)が上(うへ)に、食(を)す国を、見したまはむと、みあらかは、高(たか)知(し)らさむと、神(かむ)ながら、思(おも)ほすなへに、天地(あめつち)も、寄(よ)りてあれこそ、石走(いはばし)る、近江(あふみ)の国の、衣手(ころもで)の、田上山(たなかみやま)の、真木(まき)さく、桧(ひ)のつまでを、もののふの、八十宇治川(やそうぢがは)に、玉藻(たまも)なす、浮(う)かべ流(なが)せれ、其(そ)を取ると、騒(さわ)く御民(みたみ)も、家(いへ)忘(わす)れ、身もたな知らず、鴨(かも)じもの、水に浮(う)き居(ゐ)て、我(わ)が作る、日の御門(みかど)に、知らぬ国、寄(よ)し巨勢道(こせぢ)より、我が国は、常世(とこよ)にならむ、図(あや)負(お)へる、くすしき亀(かめ)も、新代(あらたよ)と、泉(いづみ)の川に、持ち越せる、真木(まき)のつまでを、百(もも)足(た)らず、筏(いかだ)に作り、泝(のぼ)すらむ、いそはく見れば、神(かむ)ながらにあらし |
意味: 我が大君、日の皇子(みこ)様が、藤原の地で国内をごらんになるとして、宮を高くおつくりになろうと、神であるままにお考えになると、天地も従っているので、近江(おうみ)の国の田上山(たなかみやま)の檜(ひのき)を宇治川(うじがわ)に美しい藻のように浮かべて流しています。それを取ろうと働く人々も、家のことも忘れて、自分のことも考えないで、鴨(かも)でもないのに水に浮かんでいます。私たちが造る宮に、知らない国も従わせ、巨勢道(こせぢ)からわが国が理想的な国になるという、めでたい模様のある霊験(れいけん)あらたかな亀(かめ)も新しい時代だと示しています。泉川(いずみがわ:現在の木津川)に運んだ檜(ひのき)の丸太をいかだに組んで、川を上っているのでしょう。人々が一生懸命に働いているのを見ると、神でいらっしゃる大君の思いのままのようです。 |
この歌の題詞には「藤原宮之役民作歌(ふじはらのみやのえきみんのつくるうた)」とあります。 滋賀県の田上山(たなかみやま)で伐採(ばっさい)した木材を筏(いかだ)に組んで、琵琶湖から宇治川へ、そして木津川へ運んだのですね。そして木津からは陸路など(運河も造られたとの事です)で藤原の地へ運ばれたようです。 |
亀(かめ)の甲羅(こうら)の六角形の模様は吉兆(きっちょう:良いことの知らせ)を示すと考えられてきました。 |