原文
立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異煎
作者
田辺福麻呂(たなべのふくまろ)歌集より
よみ
なつきにし、奈良の都の、荒れゆけば、出(い)で立つごとに、嘆(なげ)きし増(ま)さる

意味
慣れ親しんだ奈良の都が荒れてゆくので、出て見るたぴに、嘆きが増してゆきます。
「なつきにし」は、慣れ親しんだ、という意味です。
補足
天平12年(740)以後、都が奈良から久邇(くに)の京に移ってしまいました。ですから、奈良の都がすっかり荒れ果ててしまったのです。
天平13年(741)には、五位以上の官人が許可無く平城京(へいじょうきょう)に留まることを禁止されるようになりました。