孝謙天皇(こうけんてんのう) Koken-Tennou(Empress Koken)
即位前は阿部内親王(あべのないしんのう)と呼ばれました。天平10年にはじめての女性皇太子となり、天平勝宝元年に聖武天皇の譲位により孝謙天皇(こうけんてんのう)として即位しました。その後、一旦は淳仁天皇に譲りましたが、淳仁天皇と結んだ藤原仲麻呂を恵美押勝(えみのおしかつ)の乱の際に打ち滅ぼし、称徳天皇(しょうとくてんのう)として重祚(ちょうそ)しました。道鏡(どうきょう)を寵愛(ちょうあい)したため、政治的に様々な混乱を引き起こしました。
- Before reign as Emperor, she was called Abe-no-Naishinnou. She became the first female crown prince in 10th year of Tenpyo, and in the first year of Tenpyo-Shoho, she acceded to throne Emperor Koken by the resignation of Emperor Syomu. After that, she abdicated and Emperor Jyunnin acceded to throne once, but destroyed Fujiwara Nakamaro who was connected with Emperor Jyunnin during the rebellion of Emi-no-Oshikatsu, and became Emperor Shotoku. Her favor for the monk Dokyo caused various political confusion.
[生没] 養老2年(西暦718年)~ 神護景雲4年(西暦770年)
[家族] 父 : 聖武天皇(しょうむてんのう)
母 : 光明皇后(こうみょうこうごう)
[略歴]
- 天平10年(西暦738年): 女性として初めて立太子(正式に皇太子となること)。
- 天平勝宝元年(西暦749年): 孝謙天皇(こうけんてんのう)として即位。
- 天平宝字2年(西暦758年): 大炊王(おおいおう:淳仁天皇)に譲位。
- 天平宝字8年(西暦764年): 恵美押勝(えみのおしかつ)の乱で、藤原仲麻呂を打ち、淳仁天皇を流刑に処す。皇位に復帰(称徳天皇(しょうとくてんのう)として重祚(ちょうそ))。
- 天平神護2年(西暦766年): 道鏡(どうきょう)を法王とする。
- 神護景雲3年(西暦769年): 宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん)。宇佐八幡宮が「道鏡が皇位に就くべし」と託宣したとされたことで、政治的に混乱。称徳天皇が「道鏡を皇位に就けない」と宣言し、落ち着く。
- 神護景雲4年(西暦770年): 崩御(ほうぎょ)。生涯、独身でした。
孝謙天皇(こうけんてんのう)が詠んだ歌
4264: そらみつ大和の国は水の上は地行くごとく船の上は.......(長歌)
4265: 四つの船早帰り来としらか付け我が裳の裾に斎ひて待たむ