万葉集 第一巻 : 釧着く答志の崎に今日もかも
2010年01月03日(日)更新 |
原文: 釼著 手節乃埼二 今日毛可母 大宮人之 玉藻苅良武 よみ: 釧(くしろ)着(つ)く、答志(たふし)の崎(さき)に、今日もかも、大宮人(おほみやひと)の、玉藻(たまも)刈(か)るらむ |
意味: 答志(たふし)の崎(さき)で、今日は大宮人(おほみやびと)たちは玉藻(たまも)を刈っているのでしょう。 持統天皇(じとうてんのう)が伊勢に行幸(ぎょうこう)された時、都に残った柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が宮人たちのことを想像して詠んだ歌です。 |
「釧(くしろ)着(つ)く」は「答志(たふし)」を導く枕詞(まくらことば)です。「釧(くしろ)」は手首につける腕輪のことです。手首のことを「手節(てふし)」と言っていたようで、そこから「答志(たふし)」を導くイメージができたようです。 |