原文
[題詞]
忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能■戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌
可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭■(艾+惠)隔■(艾+聚)琴■(缶+尊)無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能黙已 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳
[歌]
夜麻我比邇 佐家流佐久良乎 多太比等米 伎美尓弥西■(氏+一)婆 奈尓乎可於母波牟
作者
大伴池主(おおとものいけぬし)
よみ
[題詞]
忽(たちまち)に芳音(はういん)を辱(かたじけな)みし翰苑(かんえん)雲を凌(しの)ぐ。兼ねて倭詩(わし)を垂れ、詞林(しりん)錦を舒(の)ぶ。 以(もち)て吟じ以て詠じ、能(よ)く戀緒(れんしょ)をのぞく。春は樂しぶ可く。暮春の風景、最も怜ぶ可し。紅桃灼々(こうとうしゃくしゃく)、戯蝶(きてふ)は花を廻りて儛(ま)ひ、翠柳(すいりう)依々(いい)、嬌鴬(けうあう)は葉に隠りて歌ふ。
樂しぶ可きかも。淡交(たんこう)の席を促(ちかづ)け、意を得て言を忘る。樂しきかも美しきかも。幽襟(いうきん)賞づるに足れり。豈慮(あにはか)りけめや。蘭■(らんけい)くさむらを隔て琴■(きんそん)用いるところ無く、空しく令節(れいせつ)を過ぐして、物色(ぶっしょく)人を軽(いるかせ)にせむと。怨むる所、此に有り、黙已(もだを)ること能はず。俗(よ)の語(ことば)に云はく、藤を以て錦(にしき)を續(つ)ぐといふ。聊(いささ)かに談咲(だんせう)に擬(あてはか)わくのみ。
[歌]
山峽(やまがひ)に、咲ける桜(さくら)を、ただ一目、君に見せてば、何をか思はむ
意味
[題詞]
思いかけずお手紙をいただきました。素敵な文は雲をつくほどです。同封していただいた和歌は兼ねてお言葉が錦を張ったようです。つぶやくように詠んでみたり、大きな声で詠んでみたりしてあなた様への気持ちを紛らわせています。
春は楽しむものです。三月のの風景は最も素晴らしいです。紅い桃は咲き乱れ、蝶々は花をめぐって飛び、緑の柳は垂れ、かわいい鴬(うぐいす)は葉に隠りて歌います。
楽しいことです。あっさりとした君子のまじわりは席を近づけるだけで気持ちが通じて言葉を忘れるほどです。楽しく麗しいことです。深い心は賞するに値します。思いもかけないことでした。香りを放つ花のように互いに離れていて、琴や酒樽を用いることも無く、ただ時を過ごし、四季折々の風情を楽しむことができないとは。恨むことはこのことで、黙っているわけにはまいりません。世間では、「藤布を錦(にしき)に縫い付ける(ここでは、自分の稚拙な文章を家持の優れた文章に続けて恥じること)」といいます。(この手紙と歌を)少しでもお笑い種にしていただけましたらと思います。
[歌]
山間に咲いている桜(さくら)を一目でもあなた様にお見せすることができたら、心残りはありません。
補足
・この歌は、3965~3966番歌に載せられている大伴家持からの手紙と歌へのお礼の手紙と歌です。
・この歌の左注には、「沽洗(やよひ:旧暦の3月)二日、掾(じょう:国司の三等官で書記業務などを担当)大伴宿祢池主(おおとものすくねいけぬし)。」とあります。