第二十巻 : 久方の天の門開き高千穂の

2010年01月03日(日)更新


原文: 比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能
可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖
於保久米能 麻須良多祁乎々 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖
布美等保利 久尓麻藝之都々 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之
波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之波良能 宇祢備乃宮尓
美也婆之良 布刀之利多弖■(氏+一) 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等
都藝弖久流 伎美能御代々々 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖
都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖C 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓
美流比等乃 可多里都藝弖■(氏+一) 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽
於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流
麻須良乎能等母

作者: 大伴家持(おおとものやかもち)

よみ: 久方(ひさかた)の、天の門開き、高千穂(たかちほ)の、岳(たけ)に天降(あも)りし、皇祖(すめろき)の、
神の御代(みよ)より、はじ弓を、手(た)握り持たし、真鹿子矢(まかごや)を、手挟(たばさ)み添へて、
大久米(おほくめ)の、ますらたけをを、先に立て、靫(ゆき)取り負ほせ、山川を、岩根(いはね)さくみて、
踏み通り、国求(ま)ぎしつ、ちはやぶる、神を言(こと)向け、まつろはぬ、人をも和し、
掃き清め、仕へまつりて、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国の、橿原(かしはら)の、畝傍(うねび)の宮に、
宮柱(みやばしら)、太(ふと)知り立てて、天(あめ)の下、知らしめしける、天皇(すめろき)の、天の日継(ひつぎ)と
継ぎてくる、君の御代(みよ)御代、隠さはぬ、明(あか)き心を、すめらへに、極(きは)め尽して、
仕へくる、祖(おや)の官(つかさ)と、言(こと)立てて、授けたまへる、子孫(うみのこ)の、いや継ぎ継ぎに、
見る人の、語り継ぎてて、聞く人の、鏡にせむを、惜(あたら)しき、清きその名ぞ、
おぼろかに、心思ひて、空言(むなこと)も、祖(おや)の名絶つな、大伴(おほとも)の、氏(うぢ)と名に負へる、
大夫(ますらを)の伴(とも)

意味: 天の戸を開いて、高千穂の岳に降りられた、天孫の昔から、はじ弓を手に持たれ、真鹿子矢(まかごや)を脇にはさんで、大久米(おほくめ)のますらおたちを、先頭に立たせて、靫(ゆき)を背負って、山川の岩を越えて踏み渡って、国を捜し求めて、荒れ狂う者たちを従え、抵抗する者をも鎮め、国を静めて、大和の国の橿原(かしはら)の畝傍(うねび)の宮に、宮を建てて、天下をお治めになった天皇の、代々継ぎながら続いてきた御代に、清い心をもって、天皇に仕えてきた祖先から引き継いできた官職だぞ、とお言葉をかけて授けていただいた、大伴家の子孫たちが、代々、見る人は語り伝え、聞く人の鏡にすべき、立派な名前ですよ。おろそかにして、かりそめにも、先祖さまの名前を絶やしてはいけないよ。大伴(おほとも)の氏の名を持つ、大夫(ますらを)たちよ。

撮影 by きょう

天平勝宝8年、淡海真人三船(おうみのまひとみふね)の讒言(ざんげん:嘘の訴え)によって、出雲守(いずものかみ)大伴古慈斐宿祢(おおとものこじひすくね)が解任されました。そこで、天平勝宝8年6月17日、大伴家持(おおとものやかもち)が、大伴の一族の人々に対して、しっかりしなさい、と詠んだ歌です。


第二十巻