原文
葦原能 美豆保國乎 安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能 御代可佐祢 天乃日嗣等 之良志久流 伎美能御代々々 之伎麻世流 四方國尓波 山河乎 比呂美安都美等 多弖麻都流 御調寶波 可蘇倍衣受 都久之毛可祢都 之加礼騰母 吾大王乃 毛呂比登乎 伊射奈比多麻比 善事乎 波自米多麻比弖 久我祢可毛 多之氣久安良牟登 於母保之弖 之多奈夜麻須尓
鶏鳴 東國乃 美知能久乃 小田在山尓 金有等 麻宇之多麻敝礼 御心乎 安吉良米多麻比 天地乃 神安比宇豆奈比 皇御祖乃 御霊多須氣弖 遠代尓 可々里之許登乎 朕御世尓 安良波之弖安礼婆 御食國波 左可延牟物能等 可牟奈我良 於毛保之賣之弖 毛能乃布能 八十伴雄乎 麻都呂倍乃 牟氣乃麻尓々々 老人毛 女童兒毛 之我願 心太良比尓 撫賜 治賜婆
許己乎之母 安夜尓多敷刀美 宇礼之家久 伊余与於母比弖 大伴乃 遠都神祖乃 其名乎婆 大来目主<等> 於比母知弖 都加倍之官 海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大皇乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自等許等太弖 大夫乃 伎欲吉彼名乎 伊尓之敝欲 伊麻乃乎追通尓 奈我佐敝流 於夜乃子等毛曽
大伴等 佐伯乃氏者 人祖乃 立流辞立 人子者 祖名不絶 大君尓 麻都呂布物能等 伊比都雅流 許等能都可左曽 梓弓 手尓等里母知弖 劔大刀 許之尓等里波伎 安佐麻毛利 由布能麻毛利尓 大王乃 三門乃麻毛利 和礼乎於吉弖 比等波安良自等 伊夜多■ 於毛比之麻左流 大皇乃 御言能左吉乃 [一云 乎] 聞者貴美 [一云 貴久之安礼婆]
作者
よみ
葦原(あしはら)の、瑞穂(みづほ)の国を、天下(あまくだ)り、知らしめしける、すめろきの、神の命(みこと)の、御代(みよ)重ね、天(あま)の日継(ひつぎ)と、知らし来る、君の御代御代、敷きませる、四方(よも)の国には、山川を、広み厚みと、奉(たてまつ)る、御調宝(みつきたから)は、数へえず、尽くしもかねつ、しかれども、我が大君(おほきみ)の、諸人(もろひと)を、誘ひたまひ、よきことを、始めたまひて、金(くがね)かも、たしけくあらむと、思ほして、下悩(したなや)ますに、
鶏(とり)が鳴く、東(あづま)の国の、陸奥(みちのく)の、小田(をだ)なる山に、黄金(くがね)ありと、申したまへれ、御心(みこころ)を 明らめたまひ、天地(あめつち)の、神相(かみあひ)うづなひ、すめろきの、御霊(みたま)助けて 遠き代(よ)に、かかりしことを、我が御代に、顕(あら)はしてあれば、食(を)す国は、栄えむものと、神(かむ)ながら、思ほしめして、もののふの、八十伴(やそとも)の緒(を)を、まつろへの、向けのまにまに、老人(おいひと)も、女童(をみなわらは)も、しが願ふ、心足(こころだ)らひに、撫(な)でたまひ、治(を)めたまへば、
ここをしも、あやに貴(たふと)み、嬉(うれ)しけく、いよよ思ひて、大伴(おほとも)の、遠つ神祖(かむおや)の、その名をば、大久米主(おほくめぬし)と、負ひ持ちて、仕(つか)へし官(つかさ)、海(うみ)行(ゆ)かば、水漬(みづ)く屍(かばね)、山行かば、草生(くさむ)す屍(かばね)、大君の、辺(へ)にこそ死なめ、かへり見は、せじと言立(ことだ)て、大夫(ますらを)の、清きその名を、いにしへよ、今のをつづに、流さへる、祖(お)の子どもぞ、
大伴(おほとも)と、佐伯(さへき)の氏(うぢ)は、人の祖の、立つる言立て、人の子は、祖の名絶たず、大君に、まつろふものと、言ひ継げる、言の官ぞ、梓弓(あづさゆみ)、手に取り持ちて、剣大刀(つるぎたち)、腰に取り佩(は)き、朝守(あさまも)り、夕(ゆふ)の守りに、大君の、御門(みかど)の守り、我(わ)れをおきて、人はあらじと、いや立て、思ひし増さる、大君の、御言(みこと)のさきの、[一云()、を]、聞けば貴み[一云、貴くしあれば]
意味
葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国に、天降り治められた天孫の天皇の、その神の御代を重ねて皇位を継いで御代ごとに治められてきた四方の国は、山川が広いので、奉る貢物(みつぎもの:各国から朝廷に納める特産品)の宝は数えきれず、あげ尽くすこともできません。しかし、我が大君が人々を(仏の道に)お誘いになり、良い事業(大仏の建立のこと)をお始めになり、黄金が果たしてあるのだろうかとお思いになり、ご心配されていたところ、
「(鶏(とり)が鳴く)東の国の陸奥国の小田という所の山に、黄金がありました。」と奏上があったので、御心を安んじられ、「天地の神も良しと思われ、代々の御霊のご加護もあり、遠い昔にあった事を、私の世にも起こしてくれたので、国は栄えるでしょう。」と、神のままにお思いになり、官人らを従わせ、老人も女子供も、それぞれの願いが満たされるまでいつくしみ、お治めになるので、
このことを何とも有難くますます嬉しく思って、大伴の遠い祖先のその名を大久米主(おほくめぬし)と呼ばれてご奉仕してきた職なので、「海を行くなら水に浸かる屍(しかばね)となり、山を行くなら草むす屍となっても、大君のお側で死にましょう。決して後ろを振り向くことはありません。」と誓い、立派な男として清いその名を昔から今まで伝えてきた、その祖の子孫なのです。
大伴と佐伯の氏は、先祖が立てた誓いを、子孫はその名を絶やさず、大君にお仕えすると言い継いできた、名誉ある家柄なのです。「梓弓(あづさゆみ)を手に持ち、剣大刀(つるぎたち)を腰につけ、朝も夕も大君の御門をお守りするのは私たちをおいて他にはないのです。」とさらに誓い、その思いは強くなるばかりだ、大君のお言葉を承ると貴くて[また、貴いので]。
「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国」は日本のことです。
補足
この歌の題詞には「陸奥國(むつのくに)に金(くがね)を出だす詔書(しょうしょ)を賀(ほ)ぐ歌一首[并(なら)びに短歌]」とあります。天平二十一年(西暦749年)に陸奥國(むつのくに)で金が発見され、聖武天皇(しょうむてんのう)が東大寺に伝える詔(みことのり)を発したとのことです。
この歌の左注には「天平感寶(かんぽう)元年(西暦年)五月十二日、越中國守(えっちゅうのくにのかみ)の舘で大伴宿祢家持(おおとものすくねやかもち)が作る。」とあります。
金を産出した小田とされる現在の宮城県遠田(おんだ)郡涌谷(わくや)町黄金迫(こがねはざま)に「黄金山神社(こがねやまじんじゃ)」があります。
「海(うみ)行(ゆ)かば、水漬(みづ)く屍(かばね)、・・・」の部分は、「海ゆかば(信時潔 作曲)」という曲のもとになっています。