原文
於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良久 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美々恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之部尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽 波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良无 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐 [言佐夫流者遊行女婦之字也]
作者
よみ
大汝(おほなむち)、少彦名(すくなびこな)の、神代(かむよ)より、言ひ継(つ)ぎけらく、父母(ちちはは)を、見れば貴(たふと)く、妻子(めこ)見れば、かなしくめぐし、うつせみの、世のことわりと、
かくさまに、言ひけるものを、世の人の、立つる言立(ことだ)て、ちさの花、咲ける盛りに、はしきよし、その妻の子と、朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑(ゑ)まずも、うち嘆(なげ)き、語りけまくは、とこしへに、かくしもあらめや、天地(あめつち)の、神言(かみこと)寄せて、春花(はるはな)の、盛(さか)りもあらむと、待たしけむ、時の盛りぞ、
離れ居(ゐ)て、嘆(なげ)かす妹(いも)が、いつしかも、使(つかひ)の来むと、待たすらむ、心寂(さぶ)しく、南風(みなみ)吹き、雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて、射水川(いみづかは)、流る水沫(みなわ)の、寄る辺(へ)なみ、左夫流(さぶる)その子に、紐(ひも)の緒(を)の、いつがり合ひて、にほ鳥の、ふたり並び居(ゐ)、奈呉(なご)の海の、奥を深めて、さどはせる、君が心の、すべもすべなさ、[佐夫流(さぶる)と言うは遊行女婦(あそびめ)の字(あざな)也(なり)]
意味
大汝(おほなむち)、少彦名(すくなびこな)の、神代の時代から「父母を見れば尊いし、妻や子を見ればせつないほどに可愛い。これは世の習いです。」と言い伝えられています。
こんな風に言われているのに、世の中の常識的な思いなのに、、ちさの花が咲いている盛りに、いとしい妻と朝夕に笑ったり、笑うことなく嘆いて語り合ったことは、「いつまでもこうしていましょうか。天地の神のおかげで、春の花のように栄えるときも来るでしょう。」と待っていた時がきたのです。
離れて住み、嘆く妻が、いつ使いが来るかと待っているでしょう。心さびしく南風が吹いて、雪解け水があふれて射水川(いみづがわ)を流れる水の泡のように、身を寄せるところもなく、左夫流(さぶる)という子の、紐の緒(を)のように寄り添って、にほ鳥のように二人並んで、奈呉(なご)の海の深くまで心を乱す君の心のどうしようもなさ。
離れて住み、嘆く妻が、いつ使いが来るかと待っているでしょう。心さびしく南風が吹いて、雪解け水があふれて射水川(いみづがわ)を流れる水の泡のように、身を寄せるところもなく、左夫流(さぶる)という子の、紐の緒(を)のように寄り添って、にほ鳥のように二人並んで、奈呉(なご)の海の深くまで心を乱す君の心のどうしようもなさ。
・[佐夫流(さぶる)と言うのは遊行女婦(あそびめ)の名前です。]
補足
・大汝(おほなむち)は、大国主命(おおくにぬしのみこと)のことです。少彦名(すくなびこな)は、大国主命といっしょに国を治めた知恵の神とされています。
・奈呉(なご)の海は、現在の富山県高岡市の海浜の一部です。