越中国(えっちゅうのくに/こしのみちのなかのくに)
越中(えっちゅう/こしのみちのなか)の国庁(こくちょう)は、現在の富山県高岡市伏木(ふしき)古国府(ふるこくふ)にある勝興寺(しょうこうじ)のある地にあったとされています。
大伴家持(おおとものやかもち)は、天平18年(西暦746年)~天平勝宝3年(西暦751年)に越中(えっちゅう)の国司(こくし)として赴任していました。
越中国庁址碑の写真は、高岡市万葉歴史館さまのフリー素材を使用させていただいています。
越中国(こしのみちのなかのくに)を詠んだ歌
国司(こくし)として赴任していた大伴家持(おおとものやかもち)が、この地にかかわる多くの歌を残しています。
万葉集では、越中(こしのみちのなか)、越中国(こしのみちのなかのくに)、越(こし)の中、道の中(原文では「美知乃奈加」)、などと書かれています。なお、以下のリストには、越中国そのものを詠んではいない歌(ただし、題詞や注に越中にかかわることが載っています)も含まれています。
3881~3884は、「越中國歌四首」と注記されています。
3881: 大野道は茂道茂路茂くとも君し通はば道は広けむ
3882: 渋谿の二上山に鷲ぞ子産むといふ翳にも君のみために鷲ぞ子産むといふ
3883: 弥彦おのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そほ降る
3884: 弥彦神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ皮衣着て角つきながら
3927: 草枕旅行く君を幸くあれと斎瓮据ゑつ我が床の辺に
3929~3930は、「更贈越中國歌二首」と注記されています。
3929: 旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ我が片恋の繁ければかも
3930: 道の中国つみ神は旅行きもし知らぬ君を恵みたまはな
3959: かからむとかねて知りせば越の海の荒礒の波も見せましものを
3962: 大君の任けのまにまに大夫の心振り起し.......(長歌)
3963: 世間は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべき思へば
3964: 山川のそきへを遠みはしきよし妹を相見ずかくや嘆かむ
3983: あしひきの山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ
3984: 玉に貫く花橘をともしみしこの我が里に来鳴かずあるらし
4000: 天離る鄙に名懸かす越の中国内ことごと.......(長歌)
4097: 天皇の御代栄えむと東なる陸奥山に黄金花咲く
4228: ありつつも見したまはむぞ大殿のこの廻りの雪な踏みそね
4238: 君が行きもし久にあらば梅柳誰れとともにか我がかづらか
4247: 天雲のそきへの極み我が思へる君に別れむ日近くなりぬ
4250: しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも