香椎(かしい)の潟(かた)
福岡県福岡市東区香椎4-16-1にある香椎宮の西にあった浅海です。現在はその多くが埋め立てられてしまっています。写真は、博多湾が最も東に入り込んだ香椎浦(浜)です。(池田様ご提供)
香椎(かしい)の潟(かた)を詠んだ歌
万葉集には3首に詠まれています。下の題詞には「香椎(かしい)の浦」と記されています。
冬十一月、大宰(だざい)の官人(かんじん)等、香椎廟(かしいびょう/かしいのみや)を奉拜(さんぱい)し、訖(を)わって退(まか)り歸(かえ)る時、馬を香椎(かしい)の浦に駐(とど)めて各(おのおの)懐(おもひ)を述べて作る歌
0957: いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ
大貳(だいに)小野老朝臣(おののおゆあそん)の歌一首
0958: 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな
豊前守(とよのくにみちのくちのかみ)宇努首男人(うののおびとをひと)の歌一首
0959: 行き帰り常に我が見し香椎潟明日ゆ後には見むよしもなし
※より詳しくは、池田様著作の「香椎廟・香椎の潟」(PDFファイル)をご覧ください。
一説には下記の歌のが香椎(かしい)の潟(かた)のことではないかと考えられています。
3654: 可之布江に鶴鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来らしも