2009年12月13日(日)更新 |
志賀島は博多湾の東側にある周囲約8キロの島です。もとは海の中道との間に水路があったそうですが、現在は陸続きになっています。天明4年(1784)に漢の光武帝から下賜された「漢委奴国王」の金印が発見された場所として有名ですね。 志賀島の東南にはわたつみの神が志賀海神社(しかうみじんじゃ)にまつられています。 |
志賀島に関する歌の中では、「海人(あま): 海で魚や海藻を採ったり、海藻を焼いて塩をとったりして生活している人」を詠み込んだ歌、しかも「塩焼く」海人(あま)を詠んだ歌が多いのが目立ちますね。 |
0278: 志賀の海女は藻刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに 0566: 草枕旅行く君を愛しみたぐひてぞ来し志賀の浜辺を 1245: 志賀の海人の釣舟の綱堪へずして心に思ひて出でて来にけり 1246: 志賀の海人の塩焼く煙風をいたみ立ちは上らず山にたなびく 2622: 志賀の海人の塩焼き衣なれぬれど恋といふものは忘れかねつも 2742: 志賀の海人の煙焼き立て焼く塩の辛き恋をも我れはするかも 3170: 志賀の海人の釣りし燭せる漁り火のほのかに妹を見むよしもがも 3177: 志賀の海人の礒に刈り干すなのりその名は告りてしを何か逢ひかたき 3652: 志賀の海人の一日もおちず焼く塩のからき恋をも我れはするかも 3653: 志賀の浦に漁りする海人家人の待ち恋ふらむに明かし釣る魚 3654: 可之布江に鶴鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来らしも 3664: 志賀の浦に漁りする海人明け来れば浦廻漕ぐらし楫の音聞こゆ 3860: 大君の遣はさなくにさかしらに行きし荒雄ら沖に袖振る 3861: 荒雄らを来むか来じかと飯盛りて門に出で立ち待てど来まさず 3862: 志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ 3863: 荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか 3864: 官こそさしても遣らめさかしらに行きし荒雄ら波に袖振る 3865: 荒雄らは妻子の業をば思はずろ年の八年を待てど来まさず 3866: 沖つ鳥鴨とふ船の帰り来ば也良の崎守早く告げこそ 3867: 沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎廻みて漕ぎ来と聞こえ来ぬかも 3868: 沖行くや赤ら小舟につと遣らばけだし人見て開き見むかも 3869: 大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも |