原文

山跡庭 聞徃歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者

作者

不明

よみ

大和(やまと)には 聞こえも行くか 大我野(おほがの)の 竹葉(たかは)刈(か)り敷(し)き 廬(いほ)りせりとは

意味

竹 by 写真AC

大和には聞こえていくでしょうか。大我野の竹(たけ)の葉を刈り敷いて、私が仮寝しているということが。

・大我野(おほがの)は現在の和歌山県橋本市西部とされています。

- rough meaning: Will it be possible for the remaining families in Yamato to know that we are laying bamboo leaves in Ogano and spending a night?

補足

・この歌を含む1667番歌の題詞には、「大寳(たいほう)元年(西暦701年)辛丑(しんちゅう)冬十月 太上天皇(おほきすめらみこと:持統天皇のこと)大行天皇(さきのすめらみこと:文武天皇のこと)紀伊國(きいのくに)に幸(いでま)しし時の歌十三首」とあります。持統天皇・文武天皇が紀伊国に行幸された時、お供をした人が詠んだ歌です。

- This poem was written by the person who accompanied Empress Jito and Emperor Monmu when they went to Kii Province.

更新日: 2021年10月03日(日)