雑歌(ぞうか)・相聞歌(そうもんか)・挽歌(ばんか)から成っています。各々はだいたい年代順になっています。
雑歌(ぞうか)
1664: 夕されば小倉の山に伏す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも
1665: 妹がため我れ玉拾ふ沖辺なる玉寄せ持ち来沖つ白波
1666: 朝霧に濡れにし衣干さずしてひとりか君が山道越ゆらむ
1667: 妹がため我れ玉求む沖辺なる白玉寄せ来沖つ白波
1668: 白崎は幸くあり待て大船に真梶しじ貫きまたかへり見む
1669: 南部の浦潮な満ちそね鹿島なる釣りする海人を見て帰り来む
1670: 朝開き漕ぎ出て我れは由良の崎釣りする海人を見て帰り来む
1671: 由良の崎潮干にけらし白神の礒の浦廻をあへて漕ぐなり
1672: 黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻
1673: 風莫の浜の白波いたづらにここに寄せ来る見る人なしに
1674: 我が背子が使来むかと出立のこの松原を今日か過ぎなむ
1675: 藤白の御坂を越ゆと白栲の我が衣手は濡れにけるかも
1676: 背の山に黄葉常敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ
1677: 大和には聞こえも行くか大我野の竹葉刈り敷き廬りせりとは
1678: 紀の国の昔弓雄の鳴り矢もち鹿取り靡けし坂の上にぞある
1679: 紀の国にやまず通はむ妻の杜妻寄しこせに妻といひながら
1680: あさもよし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日ぞ雨な降りそね
1681: 後れ居て我が恋ひ居れば白雲のたなびく山を今日か越ゆらむ
1682: とこしへに夏冬行けや裘扇放たぬ山に住む人
1683: 妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り我がかざすべく花咲けるかも
1684: 春山は散り過ぎぬとも三輪山はいまだふふめり君待ちかてに
1685: 川の瀬のたぎつを見れば玉藻かも散り乱れたる川の常かも
1686: 彦星のかざしの玉は妻恋ひに乱れにけらしこの川の瀬に
1687: 白鳥の鷺坂山の松蔭に宿りて行かな夜も更けゆくを
1688: あぶり干す人もあれやも濡れ衣を家には遣らな旅のしるしに
1689: あり衣辺につきて漕がさね杏人の浜を過ぐれば恋しくありなり
1690: 高島の阿渡川波は騒けども我れは家思ふ宿り悲しみ
1691: 旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも
1692: 我が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷き独りかも寝む
1693: 玉櫛笥明けまく惜しきあたら夜を衣手離れて独りかも寝む
1694: たくひれの鷺坂山の白つつじ我れににほはに妹に示さむ
1695: 妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも
1696: 衣手の名木の川辺を春雨に我れ立ち濡ると家思ふらむか
1697: 家人の使ひにあらし春雨の避くれど我れを濡らさく思へば
1698: あぶり干す人もあれやも家人の春雨すらを真使ひにする
1699: 巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし
1700: 秋風に山吹の瀬の鳴るなへに天雲翔る雁に逢へるかも
1701: さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空を月渡る見ゆ
1702: 妹があたり繁き雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬすべなきまでに
1703: 雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど
1704: ふさ手折り多武の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける
1705: 冬こもり春へを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つ我れぞ
1706: ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手を高屋の上にたなびくまでに
1707: 山背の久世の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり
1708: 春草を馬咋山ゆ越え来なる雁の使は宿り過ぐなり
1709: 御食向ふ南淵山の巌には降りしはだれか消え残りたる
1710: 我妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無の浜
1711: 百伝ふ八十の島廻を漕ぎ来れど粟の小島は見れど飽かぬかも
1712: 天の原雲なき宵にぬばたまの夜渡る月の入らまく惜しも
1713: 滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰れ呼子鳥
1714: 落ちたぎち流るる水の岩に触れ淀める淀に月の影見ゆ
1715: 楽浪の比良山風の海吹けば釣りする海人の袖返る見ゆ
1716: 白波の浜松の木の手向けくさ幾代までにか年は経ぬらむ
1717: 三川の淵瀬もおちず小網さすに衣手濡れぬ干す子はなしに
1718: 率ひて漕ぎ去にし舟は高島の安曇の港に泊てにけむかも
1719: 照る月を雲な隠しそ島蔭に我が舟泊てむ泊り知らずも
1720: 馬並めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む
1721: 苦しくも暮れゆく日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに
1722: 吉野川川波高み滝の浦を見ずかなりなむ恋しけまくに
1723: かわづ鳴く六田の川の川柳のねもころ見れど飽かぬ川かも
1724: 見まく欲り来しくもしるく吉野川音のさやけさ見るにともしく
1725: いにしへの賢しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも
1726: 難波潟潮干に出でて玉藻刈る海人娘子ども汝が名告らさね
1727: あさりする人とを見ませ草枕旅行く人に我が名は告らじ
1728: 慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかも行かむこゆ別れなば
1729: 暁の夢に見えつつ梶島の礒越す波のしきてし思ほゆ
1730: 山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ
1731: 山科の石田の杜に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも
1732: 大葉山霞たなびきさ夜更けて我が舟泊てむ泊り知らずも
1733: 思ひつつ来れど来かねて三尾の崎真長の浦をまたかへり見つ
1734: 高島の安曇の港を漕ぎ過ぎて塩津菅浦今か漕ぐらむ
1735: 我が畳三重の河原の礒の裏にかくしもがもと鳴くかはづかも
1736: 山高み白木綿花に落ちたぎつ夏身の川門見れど飽かぬかも
1737: 大滝を過ぎて夏身に近づきて清き川瀬を見るがさやけさ
1738: しなが鳥安房に継ぎたる梓弓周淮の珠名は.......(長歌)
1739: 金門にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける
1740: 春の日の霞める時に住吉の岸に出で居て釣舟の.......(長歌)
1741: 常世辺に住むべきものを剣大刀汝が心からおそやこの君
1742: しな照る片足羽川のさ丹塗りの大橋の上ゆ.......(長歌)
1743: 大橋の頭に家あらばま悲しく独り行く子に宿貸さましを
1744: 埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし
1745: 三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
1746: 遠妻し多賀にありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし
1747: 白雲の龍田の山の瀧の上の小椋の嶺に咲きををる.......(長歌)
1748: 我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
1749: 白雲の龍田の山を夕暮れにうち越え行けば.......(長歌)
1750: 暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを
1751: 島山をい行き廻れる川沿ひの岡辺の道ゆ.......(長歌)
1752: い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
1753: 衣手常陸の国の二並ぶ筑波の山を見まく欲り.......(長歌)
1754: 今日の日にいかにかしかむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も
1755: 鴬の卵の中に霍公鳥独り生れて己が父に.......(長歌)
1756: かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて行くなりあはれその鳥
1757: 草枕旅の憂へを慰もることもありやと筑波嶺に.......(長歌)
1758: 筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな
1759: 鷲の住む筑波の山の裳羽服津のその津の上に.......(長歌)
1760: 男神に雲立ち上りしぐれ降り濡れ通るとも我れ帰らめや
1761: 三諸の神奈備山にたち向ふ御垣の山に秋萩の.......(長歌)
1762: 明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼びたて鳴くも
1763: 倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の片待ちかたき
1764: 久方の天の川原に上つ瀬に玉橋渡し下つ瀬に.......(長歌)
1765: 天の川霧立ちわたる今日今日と我が待つ君し舟出すらしも
相聞歌(そうもんか)
1766: 我妹子は釧にあらなむ左手の我が奥の手に巻きて去なましを
1767: 豊国の香春は我家紐児にいつがり居れば香春は我家
1768: 石上布留の早稲田の穂には出でず心のうちに恋ふるこのころ
1769: かくのみし恋ひしわたればたまきはる命も我れは惜しけくもなし
1770: みもろの神の帯ばせる泊瀬川水脈し絶えずは我れ忘れめや
1771: 後れ居て我れはや恋ひむ春霞たなびく山を君が越え去なば
1772: 後れ居て我れはや恋ひむ印南野の秋萩見つつ去なむ子故に
1773: 神なびの神寄せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに
1774: たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼め過ぎむや
1775: 泊瀬川夕渡り来て我妹子が家の金門に近づきにけり
1776: 絶等寸の山の峰の上の桜花咲かむ春へは君し偲はむ
1777: 君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず
1778: 明日よりは我れは恋ひむな名欲山岩踏み平し君が越え去なば
1779: 命をしま幸くもがも名欲山岩踏み平しまたまたも来む
1780: ことひ牛の三宅の潟にさし向ふ鹿島の崎に.......(長歌)
1781: 海つ道のなぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出すべしや
1782: 雪こそば春日消ゆらめ心さへ消え失せたれや言も通はぬ
1783: 松返りしひてあれやは三栗の中上り来ぬ麻呂といふ奴
1784: 海神のいづれの神を祈らばか行くさも来さも船の早けむ
1785: 人となることはかたきをわくらばになれる我が身は.......(長歌)
1786: み越道の雪降る山を越えむ日は留まれる我れを懸けて偲はせ
1787: うつせみの世の人なれば大君の命畏み.......(長歌)
1788: 布留山ゆ直に見わたす都にぞ寐も寝ず恋ふる遠くあらなくに
1789: 我妹子が結ひてし紐を解かめやも絶えば絶ゆとも直に逢ふまでに
1790: 秋萩を妻どふ鹿こそ独り子に子持てりといへ.......(長歌)
1791: 旅人の宿りせむ野に霜降らば我が子羽ぐくめ天の鶴群
1792: 白玉の人のその名をなかなかに言を下延へ.......(長歌)
1793: 垣ほなす人の横言繁みかも逢はぬ日数多く月の経ぬらむ
1794: たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして
挽歌(ばんか)
1795: 妹らがり今木の嶺に茂り立つ嬬松の木は古人見けむ
1796: 黄葉の過ぎにし子らと携はり遊びし礒を見れば悲しも
1797: 潮気立つ荒礒にはあれど行く水の過ぎにし妹が形見とぞ来し
1798: いにしへに妹と我が見しぬばたまの黒牛潟を見れば寂しも
1799: 玉津島礒の浦廻の真砂にもにほひて行かな妹も触れけむ
1800: 小垣内の麻を引き干し妹なねが作り着せけむ.......(長歌)
1801: 古へのますら壮士の相競ひ妻問ひしけむ.......(長歌)
1802: 古への信太壮士の妻問ひし菟原娘子の奥城ぞこれ
1803: 語り継ぐからにもここだ恋しきを直目に見けむ古へ壮士
1804: 父母が成しのまにまに箸向ふ弟の命は.......(長歌)
1805: 別れてもまたも逢ふべく思ほえば心乱れて我れ恋ひめやも
1806: あしひきの荒山中に送り置きて帰らふ見れば心苦しも
1807: 鶏が鳴く東の国に古へにありけることと.......(長歌)
1808: 勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児名し思ほゆ
1809: 葦屋の菟原娘子の八年子の片生ひの時ゆ.......(長歌)
1810: 芦屋の菟原娘子の奥城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ
1811: 墓の上の木の枝靡けり聞きしごと茅渟壮士にし寄りにけらしも