原文
山背乃 久邇能美夜古波 春佐礼播 花咲乎々理 秋左礼婆 黄葉尓保比 於婆勢流 泉河乃 可美都瀬尓 宇知橋和多之 余登瀬尓波 宇枳橋和多之 安里我欲比 都加倍麻都良武 万代麻弖尓
作者
境部老麻呂(さかいべのおゆまろ)
よみ
山背(やましろ)の、久迩(くに)の都は、春されば、花咲きををり、秋されば、黄葉(もみちば)にほひ、帯(お)ばせる、泉(いづみ)の川の、上(かみ)つ瀬(せ)に、打橋(うちはし)渡し、淀瀬(よどせ)には、浮橋(うきはし)渡し、あり通(がよ)ひ、仕(つか)へまつらむ、万代(よろづよ)までに
意味
山背(やましろ)の、久迩(くに)の都は、春になると花が咲き茂り、秋になると紅葉が色づき、帯のような泉川の上流の流れの速い瀬(せ)には、打橋(うちはし)を渡し、(下流の)流れのゆるやかな瀬(せ)には、浮橋(うきはし)を渡し、そこを通ってお仕えいたします、いついつまでも。
打橋(うちはし)は、取り外しが簡単な板や丸太を渡しただけの橋のことです。浮橋(うきはし)は、いかだや舟を浮かべて、その上に板を渡した橋のことです。
補足
天平13年(西暦741年)2月に詠まれた歌です。
この歌の題詞には、「三香原(みかのはら)の新都を讃(ほ)むる歌一首、併(あわ)せて短歌」とあります。三香原(みかのはら)は現在の京都府木津川市の木津川流域の盆地とされています。