処女塚(おとめづか)
その昔、菟原(うばら:現在の神戸市灘区あたり)に住んでいた美しい処女(おとめ)をめぐって二人の若者が争い、苦しんだ処女が川に身を投げて亡くなり、二人の若者たちも後を追いました。処女たちの死を悲しんだ一族が処女の塚と二人の若者の塚を作ったとのことです。
現在の神戸市東灘区御影町二丁目に処女塚(おとめづか)古墳として保存されている前方後方墳が、その処女の塚とされています。実際は、この古墳と、この古墳を挟むように存在している東求女塚(ひがしもとめづか)古墳と西求女塚(にしもとめづか)古墳の存在がもとになってお話が作られたようです。
ちなみに、万葉集には、このお話のほかに、似たようなものとして真間手児奈(ままのてこな)、桜児(さくらこ)、蔓児(かずらこ)の伝説があります。
処女塚(おとめづか)を詠んだ歌
田辺福麻呂(たなべのふくまろ)、高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)、大伴家持(おおとものやかもち)が詠んでいます。特に、高橋虫麻呂の歌に詳しいお話しが載っています。
1801: 古へのますら壮士の相競ひ妻問ひしけむ葦屋の......(長歌)
1802: 古への信太壮士の妻問ひし菟原娘子の奥城ぞこれ
1803: 語り継ぐからにもここだ恋しきを直目に見けむ古へ壮士
1809: 葦屋の菟原娘子の八年子の片生ひの時ゆ小放りに......(長歌)
1810: 芦屋の菟原娘子の奥城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ
1811: 墓の上の木の枝靡けり聞きしごと茅渟壮士にし寄りにけらしも
v4211: 古にありけるわざのくすばしき事と言ひ継ぐ......(長歌)
4212: 娘子らが後の標と黄楊小櫛生ひ変り生ひて靡きけらしも