原文

金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念

作者

額田王(ぬかたのおおきみ)

よみ

の野の、み草刈(か)り葺(ふ)き、宿(やど)れりし、宇治(うじ)の宮処(みやこ)の、仮廬(かりいほ)し思(おも)ほゆ

意味

<撮影(2000.10) by きょう

の野のみ草を刈って屋根を葺(ふ)いて、泊まった宇治(うじ)の宮処(みやこ)の仮の宿のことを思い出します。

ここで「み草」は屋根を葺(ふ)く、尾花(をばな)、菅(すげ)、茅(ちがや)などのことをいいます。

補足

この歌の題詞には「明日香川原宮(あすかのかはらのみや)に御宇(あめのしたをさめたまふ)天皇の代 [天豊財重日足姫天皇(あめのとよたからいかしひたらしひめのみこと:皇極天皇のこと)]  額田王(ぬかたのおおきみ)の歌 [未(いま)だ詳(つまび)らかならず]」とあります。

この歌の左注には「右、山上憶良大夫(やまのうへのおくらまえつきみ)の類聚歌林(るいじゅうかりん)を檢(ただ)すに、曰(いは)く 一書に『戊申年(ぼしんのとし)比良宮(ひらのみや)に幸(いでま)すときの大御歌(おほみうた)』 但し紀(日本書紀のこと)に曰く 『五年春正月、己卯(きばう)の朔(さく)の辛巳(しんし)、天皇 紀温湯(きのいでゆ)より至る 三月戊寅(ぼいん)朔、天皇 吉野宮(よししのみや)に幸して肆宴(しえん:酒宴のこと)をされた 庚辰(こうしん)の日に天皇 近江の平浦(ひらのうら)に幸す』という」とあります。

更新日: 2019年05月13日(月)