斎明天皇(さいめいてんのう)
[生没] 大宝元年(西暦593) ~ 天平宝字4年(西暦661)
[家族] 父 : 茅渟王(ちぬのおおきみ)、母 : 吉備姫女王(きびのひめみこ)
子 : 天智天皇(てんじてんのう)、天武天皇(てんむてんのう)
[略歴]
- 皇極元年(642): 皇極天皇(こうぎょくてんのう)として即位。
- 皇極2年(643): 飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)に移る。
- 皇極4年(645): 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)らが蘇我入鹿(そがのいるか)を殺害する現場に居合わせる。軽皇子(かるのみこ)に譲位(じょうい:位を譲ること)する。軽皇子(かるのみこ)は孝徳天皇(こうとくてんのう)、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は皇太子となる。
- 斎明元年(655): 孝徳天皇(こうとくてんのう)が亡くなり、重祚(ちょうそ)して斎明天皇(さいめいてんのう)となる。
- 斎明4年(658): 孫の建王(たけるおう)が亡くなり、これを悲しんだ歌を詠む。ただし、この歌は日本書紀に載っていて、万葉集には載っていません。
紀伊に行幸する。有間皇子(ありまのみこ)の事件が起こる。 - 斎明7年(661): 百済(くだら)を救援するため、自らも筑紫へ赴く。7月に朝倉宮(あさくらのみや)で亡くなる。
重祚(ちょうそ)とは、一度退位した天皇が再び天皇になる事を言います。
斎明天皇が亡くなり、夕方に遺体を磐瀬宮に運んだときに、朝倉山の上から大きな鬼が葬送の様子をうかがっていたという記述が日本書紀にあります。写真のような雲を見たのでしょうか。
斎明天皇(さいめいてんのう)が詠んだ歌
0008: 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
0010: 君が代も我が代も知るや岩代の岡の草根をいざ結びてな
0011: 我が背子は仮廬作らす草なくは小松が下の草を刈らさね
0012: 我が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ
0485: 神代より生れ継ぎ来れば人さはに国には満ちて.......(長歌)
0486: 山の端にあぢ群騒き行くなれど我れは寂しゑ君にしあらねば
0487: 近江道の鳥篭の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ
1511: 夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも
1664: 夕されば小倉の山に伏す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも