中大兄皇子(なかのおおえのみこ)・天智天皇(てんじてんのう) Nakano-Ooe-no-Miko,Emperor Tenji
[生没] 推古34年(西暦626) ~ 天智10年(671)
[家族] 父 : 舒明天皇(じょめいてんのう)
子 : 持統天皇(じとうてんのう)・元明天皇(げんめいてんのう)・大友皇子・大田皇女・明日香皇女・志貴皇子(しきのみこ)など
母 : 皇極天皇(こうぎょくてんのう)(斉明天皇(さいめいてんのう))
[略歴]
- 皇極4年(645): 乙巳(いっし)の変で蘇我氏を滅ぼす。
- 斉明7年(655): 斉明天皇(さいめいてんのう)が亡くなったため、即位せずに政治を執ることになる。これを称制(しょうせい)といいます。
- 天智3年(664): 冠位二十六階を制定する。
- 天智6年(667): 近江大津宮に遷都する。
- 天智7年(668): 即位する。
- 天智8年(669): 中臣鎌足(なかとみのかまたり)宅へ行幸し、藤原の姓を賜る。同時に大織冠・大臣の位を授位する。
- 天智10年(671): 大友皇子(おおとものみこ)を太政大臣にする。この年の暮れに崩御(ほうぎょ)する。
乙巳(いっし)の変のとき、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)と協力して、蘇我入鹿(そがのいるか)を斬っています。写真は、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)の跡と伝えられるところです。
- In the Isshi-Incident(645 AD.), Nakano-Ooe-no-Miko collaborated with Fujiwara-no-Kamatari to kill Soga-no-Iruka at Asuka-Itabuki-no-Miya. The photo shows the site that is said to be the site of Asuka-Itabuki-no-Miya. After that, he did not ascend to the imperial throne for a long time and ruled politics as the crown prince (this is called "Shosei"). He ascended the throne as Emperor (Emperor Tenji) in 668 AD.
中大兄皇子(なかのおおえのみこ)が詠んだ歌 Poems
0013: 香具山は畝傍を愛しと耳成と相争ひき.......(長歌)
0014: 香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原
0015: 海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ
0091: 妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを