原文 Original Text
白浪乃 濱松之枝乃 手向草 幾代左右二賀 年乃經去良武 [一云 年者經尓計武]
作者 Author
川島皇子(かわしまのみこ)もしくは山上憶良(やまのうえのおくら)
- Kawashima-no-Miko or Yamanoue-no-Okura.
よみ Reading
白波(しらなみ)の 浜松(はままつ)が枝(え)の 手向(たむ)け草 幾代(いくよ)までにか 年の経(へ)ぬらむ [一に云(い)う 年は経にけむ]
- Shiranami no Hamamatsu-ga-e no Tamuke-gusa Ikuyo madeni ka Toshi no henu ramu[Toshi ha he ni kemu].
意味 Meaning
白波(しらなみ)が寄せる浜松の枝に結んだ手向(たむ)け草は、あれからどれくらい年を経たのだろう。
・この歌は、斉明四年(西暦658年)に謀反の罪に問われて紀伊国に移送された有間皇子(ありまのみこ)のことを思い起こして詠んだ歌と考えられています。
・「手向(たむ)け草」は、旅の安全を願って土地の神に捧げるもののこと。
- rough meaning: I wonder how many years have passed since the heihaku(offerings made of paper or silk cuttings) to the gods tied to the branches of Hamamatsu, where the white waves gather.
[note] This poem is thought to have been written in memory of Prince Arima, who was accused of rebellion and was deported to Kii-Province(Present-day Wakayama Prefecture and Southern Mie Prefecture) in the 4th year of Saimei(AD 658).
補足 Notes
この歌の題詞に「紀伊國(きのくに:現在の和歌山県と三重県南部)に幸(いでま)す時、川嶋皇子(かわしまのみこ)の作らす歌 [或(あるい)は云(い)はく、山上臣憶良(やまのうえのおみおくら)の作なり]」とあります。
この歌の左注に「日本紀(にほんぎ:日本書紀のこと)に曰(いは)く、朱鳥(あかみとり)四年(西暦690年)庚寅(こういん)の秋九月、天皇(持統天皇(じとうてんのう)のこと)紀伊國(きのくに)に幸(いでま)す。」とあります。