平成11年4月4日(日)更新
672年に、壬申(じんしん)の乱にて、父母と行動をともにする。
天武10年(681)に、皇太子となる。
万葉集では、日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)と書かれています。万葉集に詠んだ歌は1首だけですが、皇子が亡くなったときには、柿本人麻呂をはじめ、多くの舎人(とねり)たちが悲しみの歌を詠んでいます。
皇子の宮は、島の宮と呼ばれるところにありました。蘇我馬子(そがのうまこ)の墓といわれている石舞台(いしぶたい)の付近一帯だそうです。
0110: 大名児を彼方野辺に刈る草の束の間も我れ忘れめや
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