草壁皇子(くさかべのみこ) Kusakabe-no-Miko(Price Kusakabe)
天武天皇(てんむてんのう)の二番目の皇子(みこ)で、元正天皇(げんしょうてんのう)、文武天皇(もんむてんのう)のお父さんです。天武8年(西暦679)5月の吉野の盟約(めいやく)で事実上の後継者とされましたが、天武天皇の崩御後も皇位につくことはなく、持統天皇3年(西暦689年)に27歳の若さで亡くなりました。
- Kusakabe-no-Miko(Price Kusakabe) is the second son of Emperor Tenmu and the father of Empress Gensho and Emperor Monmu. Although he was designated as the de facto successor at the Yoshino Treaty in May of the 8th year of Tenmu (679 A.D.), he did not ascend to the imperial throne even after Emperor Tenmu's death. He died at the young age of 27 in the third year of Emperor Jito (689 AD).
[生没] 天智天皇元年(西暦662年)~ 持統天皇3年(西暦689年)
[家族] 父 : 天武天皇(てんむてんのう)
母 : 持統天皇(じとうてんのう)
妻 : 阿閉皇女(あへのひめみこ:元明天皇(げんめいてんのう))
子 : 文武天皇(もんむてんのう)、元正天皇(げんしょうてんのう)、吉備内親王(きびのひめみこ)
草壁皇子(くさかべのみこ)が詠んだ歌 Poem written by Kusakabe-no-Miko
0110: 大名児を彼方野辺に刈る草の束の間も我れ忘れめや
補足 Notes
・万葉集では、日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)と書かれています。皇子が亡くなったときには、柿本人麻呂をはじめ、多くの舎人(とねり)たちが悲しみの歌を詠んでいます。皇子の宮は、島の宮と呼ばれるところにありました。