高市黒人(たけちのくろひと) Takechi-no-Kurohito
高市黒人については、生没年を含めてはっきりしたことはわかっていませんが、万葉集には18首もの歌が載っていて、すぐれた歌人として知られています。
- Little is known about Takechi-no-Kurohito, including his birth and death. But he is known as an excellent poet because Manyoshu has 18 poems of him.
高市黒人が詠んだ歌
大宝元年(701)に太上天皇(譲位後の持統天皇)吉野宮(よしののみや)行幸(ぎょうこう)に付き従い、また大宝2年(702)に太上天皇の参河国(みかわのくに)行幸に付き従い、歌を詠んでいます。
また、多くの覊旅(きりょ)の歌(旅の歌)を詠んでいます。
- He followed Emperor Taijo's journey to Yoshinomiya in the first year of Taiho (701 A.D.) and to Mikawa in the second year of Taiho(702 A.D.), and made some poems.
0032: 古の人に我れあれや楽浪の古き都を見れば悲しき
0033: 楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
0058: いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚無し小舟
0070: 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる
0270: 旅にしてもの恋しきに山下の赤のそほ船沖を漕ぐ見ゆ
0271: 桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る
0272: 四極山うち越え見れば笠縫の島漕ぎ隠る棚なし小舟
0273: 磯の崎漕ぎ廻み行けば近江の海八十の港に鶴さはに鳴く
0274: 我が舟は比良の港に漕ぎ泊てむ沖へな離りさ夜更けにけり
0275: いづくにか我は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば
0276: 妹も我れも一つなれかも三河なる二見の道ゆ別れかねつる
0277: 早来ても見てましものを山背の高の槻群散りにけるかも
0279: 我妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ
0280: いざ子ども大和へ早く白菅の真野の榛原手折りて行かむ
0283: 住吉の得名津に立ちて見わたせば武庫の泊りゆ出づる船人
0305: かく故に見じと言ふものを楽浪の旧き都を見せつつもとな
1718: 率ひて漕ぎ行く舟は高島の安曇の港に泊てにけむかも