原文

真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尓 鴬鳴沼 物部乃 八十友能壮者 折木四哭之 来継比日 如此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾為春乎 决巻毛 綾尓恐 言巻毛 湯々敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日

作者

不明

よみ

ま葛(くず)延(は)ふ 春日(かすが)の山は うち靡(なび)く 春(はる)さりゆくと 山の上(へ)に 霞(かすみ)たなびく 高円(たかまと)鴬(うぐひす)鳴きぬ もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)は 雁(かり)が音(ね)の 来(き)継(つ)ぐこの頃 かく継ぎて 常にありせば 友(とも)並(な)めて 遊ばむものを 馬(うま)並(な)めて 行かまし里を 待ちかてに 我がする春(はる)を かけまくも あやに畏(かしこ)し 言はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥(ちどり)鳴く その佐保川(さほがは)に 岩に生(お)ふる 菅(すが)の根(ね)採(と)りて 偲(しの)ふ草 祓(はら)へてましを 行(ゆく)く水に みそぎてましを 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み ももしきの 大宮人(おほみやひと)の 玉桙(たまほこ)の 道にも出でず 恋ふるこの頃

意味

 by 写真AC

葛(くず)が生い茂る春日の山は、春(はる)がやってきたと山の上に霞(かすみ)がたなびいて、高円山(たかまどやま)鴬(うぐいす)が鳴きはじめました。諸々の宮人たちは雁(かり)が鳴いて次々にやって来るこの頃<に、いつもならば友と一緒に遊ぶのですが、馬(うま)を並べて行くであろう里を待ちかねていた春(はる)なのに、畏れ多くも申し上げるも由々しきこんなことになろうとは、あらかじめ分かっていたのだったら、千鳥(ちどり)が鳴く佐保川(さほがわ)で石に生えた菅の根を採って偲ぶ草(思い出のよすがになったそうです)としてお祓いをすれば良かったのに、流れる水で禊をすればよかったのに。天皇のご命令が畏れ多くて宮人たちが道にも出ないで、この春を恋い慕っているこの頃なのです。

- rough meaning: In Kasugayama, where Kuzu is overgrown, when spring came, haze covered over the mountain, and uguisu began to sing on Takamadoyama. Around this time when the geese rang and came one after another, the palace people usually play with friends, and we were waiting for the fun things such as riding horses to the village. However, if we knew in advance that this would be a terrible thing to say in awe, we wish we had taken the roots of Suge that grew on the stone in the Sahogawa where the chidori crowed and had purified with them as shinbu-kusa(memorable grass), or we should have made ablutions with flowing water.The emperor's orders is so awe-inspiring that the palace peoples can't even go out on the road while we are longed for this spring. (The author is under confinement and cannot enjoy spring.)

補足

・この歌の題詞には、「(神機)四年(西暦727年)丁卯(ていぼう)春正月、諸王(もろもろのみこ)諸臣子(もろもろのおみのこ)等に勅(みことのり)して授刀寮(じゅとうりょう:天皇警護の役所)に散禁(さんきん:外出禁止)せしむる時に作る歌一首[并(あは)せて短歌]」とあります。

・この歌の反歌の左注によると、「正月のある日に雨・稲妻が発生したときに、王子や諸臣の子たちが春日野で打毬(だきゅう)の遊びをしており宮中にがいなかったため天皇の命により全員授刀寮に軟禁させられ、そのとき、憂鬱な気持ちでこの歌を作った。」ということがわかります。

・打毬(だきゅう)というのは、馬術競技の「ポロ」の起源と同様で、中央アジアの一部地域で発生したといわれています。

更新日: 2021年07月25日(日)