鏡王女(かがみのおおきみ)

鏡王(かがみのおおきみ)の娘さんという説があり、額田王(ぬかたのおおきみ)のお姉さまということくらいしか分かっていません。
はじめは天智天皇の妃だったそうですが、後に藤原鎌足の正式な奥様となったようです。興福寺縁起(えんぎ:お寺などの由来を記載したもの)には鎌足の嫡室(ちゃくしつ:正式な奥さま)とあります。

生まれた年月日はわかっていませんが、日本書紀には、天武12年(西暦683)7月4日に天武天皇が病気の鏡王女(かがみのおおきみ)をお見舞いしましたが翌日亡くなった、との記事があります。
写真は、奈良県桜井市忍坂にある鏡王女の墓です。
鏡王女(かがみのおおきみ)が詠んだ歌
万葉集には藤原鎌足との贈答歌、天智天皇との贈答歌があります。
0092: 秋山の木の下隠り行く水の我れこそ益さめ御思ひよりは
0093: 玉櫛笥覆ふを安み明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも
0489: 風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
1419: 神なびの石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる
1607: 風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ