原文
飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡 [一云 石浪] 下瀬 打橋渡 石橋 [一云 石浪] 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾王能 立者 玉藻之母許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉
宇都曽臣跡 念之時 春都者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 雖見不■ 三五月之 益目頬染 所念之 君与時々 幸而 遊賜之 御食向 木■之宮乎 常宮跡 定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨 [一云 所己乎之毛] 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬 [一云 為乍] 朝鳥 [一云 朝霧] 徃来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼徃此去 大船 猶預不定見者 遣悶流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将徃 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此焉
作者
よみ
飛ぶ鳥の、明日香(あすか)の川の、上(かみ)つ瀬に、石橋(いしはし)渡し[一云 石なみ]、下(しも)つ瀬に、打橋(うちはし)渡す、石橋に[一云 石なみに]、生ひ靡(なび)ける、玉藻(たまも)もぞ、絶ゆれば生(を)ふる、打橋(うちはし)に、生(お)ひををれる、川藻もぞ、枯るれば生ゆる、なにしかも、我が大君(おほきみ)の、立たせば、玉藻のもころ、臥(こ)やせば、川藻のごとく、靡(なび)かひし、宜(よろ)しき君が、朝宮を、忘れたまふや、夕宮を、背(そむ)きたまふや、
うつそみと、思ひし時に、春へは、花折りかざし、秋立てば、黄葉(もみちば)かざし、敷栲(しきたへ)の、袖(そで)たづさはり、鏡なす、見れども飽かず、望月(もちづき)の、いやめづらしみ、思ほしし、君と時々、出でまして、遊びたまひし、御食(みけ)向(むか)ふ、城上(きのへ)の宮を、常宮(とこみや)と、定めたまひて、あぢさはふ、目言(めこと)も絶えぬ、しかれかも[一云 そこをしも]、あやに悲しみ、ぬえ鳥の、片恋づま[一云 しつつ]、朝鳥の[一云 朝霧の]、通はす君が、夏草の、思ひ萎(な)えて、夕星の、か行きかく行き、大船の、たゆたふ見れば、慰(なぐさ)もる、心もあらず、そこ故に、為(せ)むすべ知れや、音のみも、名のみも絶えず、天地(あめつち)の、いや遠長く、偲(しの)ひ行かむ、御名(みな)に懸(か)かせる、明日香川(あすかがわ)、万代(よろづよ)までに、はしきやし、我が大君の、形見(かたみ)かここを
意味
明日香(あすか)の川の上流の瀬に石橋(いしはし)を渡し[または 石なみ]、下流の瀬に打橋(うちはし)渡し、石橋(いしはし)に[または 石なみに]生えて靡(なび)いている玉藻(たまも)でさえ、絶えてもまた生えてくるのに、打橋(うちはし)に生え覆(おお)う川藻(かわも)でさえ、枯れてもまた生えてくるのに、どうして明日香皇女(あすかのひめみこ)は、お立ちになると玉藻(たまも)のようなお姿で、横になられると川藻(かわも)のようになびくようなそのお姿が美しい君(忍壁皇子(おさかべのみこ)のこと)の朝宮をお忘れになられたのか、夕宮をお離れになったのか。
ずっといらっしゃると思っていたのに、春は花を手折り髪飾りにして、秋は黄葉(もみちば)を髪飾りにし、袖をとりあって、見ても飽きることなく、ますます愛おしく思われ、君(忍壁皇子)と時々お出かけになり、お遊びになられた、城上(きのへ)の宮を永遠の宮とお定めになられて、お目にかかることもなくなりました。そのためなのでしょうか[または そのことを]とても悲しみ、取り残された夫[または 片恋しつつ]のように朝鳥の[または 朝霧の]ようにいつも通っていらした君(忍壁皇子)が、夏草のように萎(な)えて、夕星のように行ったり来たりし、大船のように揺れ動くのを見ると、慰めようもなくて、それといって為すすべもなくて、噂だけでも、名前だけでも耐えることなく、天地のように、ずっと長く偲んでいようと思います。皇女の名前にゆかりのある明日香川(あすかがわ)をいついつまでも明日香皇女(あすかのひめみこ)の形見として、ここを。
・明日香皇女(あすかのひめみこ)が亡くなられたときに、柿本人麻呂が詠んだ歌です。
補足
この歌を含む長歌の題詞には「明日香皇女(あすかのひめみこ)の城上(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時、柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそんひとまろ)作る歌一首 ならびに短歌」とあります。