高市皇子(たけちのみこ) Takechi-no-Miko(Prince Takechi)

イラスト by 忽原さま

天武天皇(てんむてんのう)の長男です。天武元年(西暦672年)の壬申(じんしん)の乱で最も活躍した人です。

- He is the eldest son of Emperor Tenmu. He was the most active person in the Jinshin War(The largest civil war in ancient Japan) in the first year of Tenmu (672 AD).

[生没] 白雉5年(西暦654年)(未詳)~ 持統10年(西暦696年)

[家族] 父 : 天武天皇(てんむてんのう)
   母 : 胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)の娘、尼子娘(あまこのいらつめ)

30歳くらいで、天智天皇の娘さんである御名部皇女(みなべのひめみこ)と結婚し、長屋王(ながやおう)と鈴鹿王(すずかおう)らの子をもうけました。

持統4年(西暦690年)に太政大臣となり、亡くなるまで持統天皇(じとうてんのう)の政治を支えました。

高市皇子(たけちのみこ)が詠んだ歌 Poems by Takechi-no-Miko

額田王(ぬかたのおおきみ)の娘さんである十市皇女(とをちのひめみこ)が亡くなったときに、悲しんで作った歌が三首あります。高市皇子にとって十市皇女は非常に大きな存在だったように思われます。

- There are three poems that he wrote in mourning when Toochi-no-Himemiko(Princess Toochi) who is the daughter of Nukata-no-Okimi passed away.

0156: 三諸の神の神杉已具耳矣自得見監乍共寝ねぬ夜ぞ多き

0157: 三輪山の山辺真麻木綿短か木綿かくのみからに長くと思ひき

0158: 山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく

[ 補足 ]

高市皇子(たけちのみこ)が亡くなった時、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が詠んだ挽歌(ばんか)がありますが、それは万葉集中でもっとも長い歌となっています。

0199: かけまくもゆゆしきかも言はまくもあやにかしこき.......(長歌)

更新日: 2024年04月07日(日)