大津皇子(おおつのみこ) Ootsu-no-Miko(Prince Ootsu)
天武天皇(てんむてんのう)の皇子(みこ)で、大伯皇女(おおくのひめみこ)の弟さんです。お母さまは大田皇女(おおたのひめみこ)です。壬申(じんしん)の乱で活躍しました。
朱鳥(あけみとり)元年(西暦686年)に、天武天皇(てんむてんのう)が亡くなった後、謀反を計画したという疑いで捕らえられ、翌日には自害させられました(当時24歳)。自害する直前の気持ちを詠んだ漢詩が懐風藻(かいふうそう)に載っています。
二上山(ふたかみやま)の雄岳頂上に、大津皇子の墓が残されています。
[生没] 天智天皇2年(西暦663年) ~ 朱鳥(あけみとり)元年(西暦686年)
[家族] 父 : 天武天皇(てんむてんのう)、姉 : 大伯皇女(おおくのひめみこ)
母 : 大田皇女(おおたのひめみこ)
- Ootsu-no-Miko(Prince Ootsu) is the prince of Emperor Tenmu and the younger brother of Princess Ooku. His mother is Princess Ota. He played an important role in JinShin War(The greatest civil war in ancient Japan over succession to the imperial throne.).
- In the first year of Akemitori(686 AD), after the death of Emperor Tenmu, he was arrested on suspicion of planning a rebellion and was forced to commit suicid the next day (24 years old at that time). A Chinese poetry about his feelings just before his suicide is on Kaifusou. The tomb of Prince Otsu is left on the summit of Mt.Futakami.
大津皇子(おおつのみこ)が詠んだ歌 Poems by Ootsu-no-Miko
万葉集には石川娘女(いしかはのいらつめ)に贈った歌など四首があります。自害する直前に詠んだ歌、百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を...が有名です。
0107: あしひきの山のしづくに妹待つと我れ立ち濡れぬ山のしづくに
0109: 大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて我がふたり寝し
0416: 百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
1512: 経もなく緯も定めず娘子らが織る黄葉に霜な降りそね
補足: 懐風藻(かいふうそう)
天平勝宝3年(西暦751年)に完成した日本最古の漢詩集です。編者ははっきりとは分かっていません。懐風藻(かいふうそう)には、大友皇子、大津皇子、長屋王、藤原房前など120編の歌が載っています。当時の唐の影響を受け、五言詩の形式を中心に詠んでいます。
大津皇子自害させられる直前に詠んだ次の歌は特に有名です。
- 金烏臨西舎.......金烏(きんう)西舎(せいしゃ)に臨(て)らひ
- 鼓聲催短命.......鼓聲(こせい)短命(たんめい)を催(うなが)す
- 泉路無賓主.......泉路(せんろ)賓主(ひんしゅ)無し
- 此夕離家向.......此(こ)の夕へ家を離(さか)りて向かふ
大意 : 太陽が西に傾き、夕べを告げる太鼓の音が私の短い命を告げているようだ。この夕べに私はひとりで黄泉(よみ)への道を行かねばならない。