防人(さきもり) Sakimori(soldiers to fortify the border of Kyushu)

イラスト by 倉橋エリさま

防人(さきもり)は、筑紫(ちくし)・壱岐(いき)・対馬(つしま)などの北九州の防衛にあたった兵士たちのことです。崎守(さきもり)の意味(ただし、色々な説があるそうです)だと考えられています。

西暦664年に中大兄皇子(なかのおおえのみこ)が防人と烽(ほう:烽火(のろし))の制度をおいてからのことです。これは、前年(西暦663年)の朝鮮半島での白村江(はくすきのえ)の戦いに負けたために、防衛のために考えられたようです。

- Sakimori is the soldiers who defended Kitakyushu(Chikushi, Iki, Tsushima) in ancient times. The word "Sakimori" is thought to come from "Saki(cape)" and "Mori(defend)".

防人(さきもり)の選定、任期、辛い旅 About Sakimori

防人には東国の人たちが選ばれました。なぜ東国の人たちが選ばれたかは良く分かっていませんが、一説には東国の力を弱めるためとも言われています。任期は、3年で毎年2月に兵員の三分の一が交替とのことですが、実際にはそう簡単には国に帰してはもらえなかったようです。

東国から行くときは部領使(ぶりょうし)という役割の人が連れて行きます。もちろん徒歩(ラッキーなときは船、裕福な人は馬)で北九州まで行くわけですが、当時の人たちにとって辛い旅だったことは間違いありません。また、帰りは、なんと、自費なのです。ですから、帰りたくても帰ることができない人がいました。また、無理して帰路についても、故郷の家を見ること無く、途中で行き倒れとなる人たちもいたのです。

- Sakimoris were people from the eastern provinces. It is not clear why they were chosen, but one theory is that it was to weaken the power of the eastern provinces. The term of service was three years, and one third of the soldiers were replaced every February, but in reality, they were not allowed to return home so easily.

- When they traveled from the eastern provinces, they were accompanied by a person with the role of "Buryoshi"(An envoy who escorts and delivers personnel and supplies). Of course, they traveled to Kitakyushu on foot (or by boat if they were lucky, or by horseback if they were wealthy), but there is no doubt that it was a tough journey for the people at that time. Furthermore, the return journey had to be at their own expense. As a result, some people were unable to return home even if they wanted to. And even if they forced themselves to make the journey back, some died on the road without seeing their hometowns.

0329: やすみしし我が大君の敷きませる国の中には都し思ほゆ(大伴四綱)

0330: 藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君(大伴四綱)

1265: 今年行く新防人が麻衣肩のまよひは誰れか取り見む(古歌集より)

1266: 大船を荒海に漕ぎ出でや船たけ我が見し子らがまみはしるしも(古歌集より)

3344: この月は君来まさむと大船の思ひ頼みていつしかと.......(長歌)(防人妻)

3345: 葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし投矢し思ほゆ(防人妻)

3427: 筑紫なるにほふ子ゆゑに陸奥の可刀利娘子の結ひし紐解く(不明)

3480: 大君の命畏み愛し妹が手枕離れ夜立ち来のかも(不明)

3516: 対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも(不明)

3567: 置きて行かば妹はま愛し持ちて行く梓の弓の弓束にもがも(不明)

3568: 後れ居て恋ひば苦しも朝猟の君が弓にもならましものを(不明)

3569: 防人に立ちし朝開の金戸出にたばなれ惜しみ泣きし子らはも(不明)

3570: 葦の葉に夕霧立ちて鴨が音の寒き夕し汝をば偲はむ(不明)

3571: 己妻を人の里に置きおほほしく見つつぞ来ぬるこの道の間(不明)

[ 天平勝寳(てんぴょうしょうほう)七歳(西暦755年)乙未(いつび)二月、
相(あい)替(かわ)りて筑紫(つくし)に遣(つか)はさるる諸國の防人等(さきもりら)の歌 ]

4321: 畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹なしにして(物部秋持)

4322: 我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず(若倭部身麻呂)

4323: 時々の花は咲けども何すれぞ母とふ花の咲き出来ずけむ(丈部真麻呂)

4324: 遠江志留波の礒と尓閇の浦と合ひてしあらば言も通はむ(丈部川相)

4325: 父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごて行かむ(丈部黒當)

4326: 父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来るまで(生玉部足國)

4327: 我が妻も絵に描き取らむ暇もが旅行く我れは見つつ偲はむ(物部古麻呂)

4328: 大君の命畏み磯に触り海原渡る父母を置きて(丈部人麻呂)

4329: 八十国は難波に集ひ船かざり我がせむ日ろを見も人もがも(丹比部國足)

4330: 難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷らむ見る母なしに(丸子多麻呂)

4331: 大君の遠の朝廷としらぬひ筑紫の国は敵守る.......(長歌)(大伴家持)

4332: 大夫の靫取り負ひて出でて行けば別れを惜しみ嘆きけむ妻(大伴家持)

4333: 鶏が鳴く東壮士の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み(大伴家持)

4334: 海原を遠く渡りて年経とも子らが結べる紐解くなゆめ(大伴家持)

4335: 今替る新防人が船出する海原の上に波なさきそね(大伴家持)

4336: 防人の堀江漕ぎ出る伊豆手船楫取る間なく恋は繁けむ(大伴家持)

4337: 水鳥の立ちの急ぎに父母に物言はず来にて今ぞ悔しき(有度部牛麻呂)

4338: 畳薦牟良自が礒の離磯の母を離れて行くが悲しさ(生部道麻呂)

4339: 国廻るあとりかまけり行き廻り帰り来までに斎ひて待たね(刑部虫麻呂)

イラスト by 倉橋エリさま

4340: 父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに(川原虫麻呂)

4341: 橘の美袁利の里に父を置きて道の長道は行きかてのかも(丈部足麻呂)

4342: 真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変はりせず(坂田部首麻呂)

4343: 我ろ旅は旅と思ほど家にして子持ち痩すらむ我が妻愛しも(玉作部廣目)

4344: 忘らむて野行き山行き我れ来れど我が父母は忘れせのかも(商長首麻呂)

4345: 我妹子と二人我が見しうち寄する駿河の嶺らは恋しくめあるか(春日部麻呂)

4346: 父母が頭掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる(丈部稲麻呂)

4347: 家にして恋ひつつあらずは汝が佩ける大刀になりても斎ひてしかも(日下部三中父)

4348: たらちねの母を別れてまこと我れ旅の仮廬に安く寝むかも(日下部三中)

4349: 百隈の道は来にしをまたさらに八十島過ぎて別れか行かむ(刑部三野)

4350: 庭中の阿須波の神に小柴さし我れは斎はむ帰り来までに(若麻續部諸人)

4351: 旅衣八重着重ねて寐のれどもなほ肌寒し妹にしあらねば(玉作部國忍)

4352: 道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ(丈部鳥)

4353: 家風は日に日に吹けど我妹子が家言持ちて来る人もなし(丸子大歳)

4354: たちこもの立ちの騒きに相見てし妹が心は忘れせぬかも(丈部与呂麻呂)

4355: よそにのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに(丈部山代)

4356: 我が母の袖もち撫でて我がからに泣きし心を忘らえのかも(物部乎刀良)

4357: 葦垣の隈処に立ちて我妹子が袖もしほほに泣きしぞ思はゆ(刑部千國)

4358: 大君の命畏み出で来れば我の取り付きて言ひし子なはも(物部龍)

4359: 筑紫辺に舳向かる船のいつしかも仕へまつりて国に舳向かも(若麻續部羊)

4360: 皇祖の遠き御代にも押し照る難波の国に天の下.......(長歌)(大伴家持)

4361: 桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなへ(大伴家持)

4362: 海原のゆたけき見つつ葦が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ(大伴家持)

4363: 難波津に御船下ろ据ゑ八十楫貫き今は漕ぎぬと妹に告げこそ(若舎人部廣足)

4364: 防人に立たむ騒きに家の妹がなるべきことを言はず来ぬかも(若舎人部廣足)

4365: 押し照るや難波の津ゆり船装ひ我れは漕ぎぬと妹に告ぎこそ(物部道足)

4366: 常陸指し行かむ雁もが我が恋を記して付けて妹に知らせむ(物部道足)

4367: 我が面の忘れもしだは筑波嶺を振り放け見つつ妹は偲はね(占部子龍)

4368: 久慈川は幸くあり待て潮船にま楫しじ貫き我は帰り来む(丸子部佐壮)

4369: 筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ(大舎人部千文)

4370: 霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを(大舎人部千文)

4371: 橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも(占部廣方)

4372: 足柄のみ坂給はり返り見ず我れは越え行く.......(長歌)(倭文部可良麻呂)

4373: 今日よりは返り見なくて大君の醜の御楯と出で立つ我れは(今奉部与曽布)

4374: 天地の神を祈りて猟矢貫き筑紫の島を指して行く我れは(大田部荒耳)

4375: 松の木の並みたる見れば家人の我れを見送ると立たりしもころ(物部真嶋)

4376: 旅行きに行くと知らずて母父に言申さずて今ぞ悔しけ(川上老)

4377: 母刀自も玉にもがもや戴きてみづらの中に合へ巻かまくも(津守小黒栖)

4378: 月日やは過ぐは行けども母父が玉の姿は忘れせなふも(中臣部足國)

4379: 白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度袖振る(大舎人部祢麻呂)

4380: 難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞたなびく(大田部三成)

4381: 国々の防人集ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし(神麻續部嶋麻呂)

4382: ふたほがみ悪しけ人なりあたゆまひ我がする時に防人にさす(大伴部廣成)

4383: 津の国の海の渚に船装ひ立し出も時に母が目もがも(丈部足人)

4384: 暁のかはたれ時に島蔭を漕ぎ去し船のたづき知らずも(他田日奉得大理)

4385: 行こ先に波なとゑらひ後方には子をと妻をと置きてとも来ぬ(私部石嶋)

4386: 我が門の五本柳いつもいつも母が恋すす業りましつしも(矢作部真長)

4387: 千葉の野の児手柏のほほまれどあやに愛しみ置きて誰が来ぬ(大田部足人)

4388: 旅とへど真旅になりぬ家の妹が着せし衣に垢付きにかり(占部虫麻呂)

4389: 潮舟の舳越そ白波にはしくも負ふせたまほか思はへなくに(丈部大麻呂)

4390: 群玉の枢にくぎさし堅めとし妹が心は動くなめかも(刑部志可麻呂)

4391: 国々の社の神に幣奉り贖乞ひすなむ妹が愛しさ(忍海部五百麻呂)

4392: 天地のいづれの神を祈らばか愛し母にまた言とはむ(大伴部麻与佐)

4393: 大君の命にされば父母を斎瓮と置きて参ゐ出来にしを(雀部廣嶋)

4394: 大君の命畏み弓の共さ寝かわたらむ長けこの夜を(大伴部子羊)

4398: 大君の命畏み妻別れ悲しくはあれど大夫の.......(長歌)(大伴家持)

4399: 海原に霞たなびき鶴が音の悲しき宵は国辺し思ほゆ(大伴家持)

4400: 家思ふと寐を寝ず居れば鶴が鳴く葦辺も見えず春の霞に(大伴家持)

4401: 唐衣裾に取り付き泣く子らを置きてぞ来のや母なしにして(他田舎人大嶋)

4402: ちはやぶる神の御坂に幣奉り斎ふ命は母父がため(神人部子忍男)

4403: 大君の命畏み青雲のとのびく山を越よて来ぬかむ(小長谷部笠麻呂)

4404: 難波道を行きて来までと我妹子が付けし紐が緒絶えにけるかも(上毛野牛甘)

4405: 我が妹子が偲ひにせよと付けし紐糸になるとも我は解かじとよ(朝倉益人)

4406: 我が家ろに行かも人もが草枕旅は苦しと告げ遣らまくも(大伴部節麻呂)

4407: ひな曇り碓氷の坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも(他田部子磐前)

4408: 大君の任けのまにまに島守に我が立ち来れば.......(長歌)(大伴家持)

4409: 家人の斎へにかあらむ平けく船出はしぬと親に申さね(大伴家持)

4410: み空行く雲も使と人は言へど家づと遣らむたづき知らずも(大伴家持)

4411: 家づとに貝ぞ拾へる浜波はいやしくしくに高く寄すれど(大伴家持)

4412: 島蔭に我が船泊てて告げ遣らむ使を無みや恋ひつつ行かむ(大伴家持)

4413: 枕太刀腰に取り佩きま愛しき背ろが罷き来む月の知らなく(桧前舎人石前妻:大伴部真足女)

4414: 大君の命畏み愛しけ真子が手離り島伝ひ行く(大伴部小歳)

4415: 白玉を手に取り持して見るのすも家なる妹をまた見てももや(物部歳徳)

4416: 草枕旅行く背なが丸寝せば家なる我れは紐解かず寝む(妻椋椅部刀自賣)

4417: 赤駒を山野にはがし捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ(椋椅部荒虫妻:宇遅部黒女)

4418: わが門の片山椿まこと汝れ我が手触れなな土に落ちもかも(物部廣足)

4419: 家ろには葦火焚けども住みよけを筑紫に至りて恋しけ思はも(物部真根)

4420: 草枕旅の丸寝の紐絶えば我が手と付けろこれの針持し(椋椅部弟女)

4421: 我が行きの息づくしかば足柄の峰延ほ雲を見とと偲はね(服部於由)

4422: 我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも寝も(妻服部呰女)

4423: 足柄の御坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも(藤原部等母麻呂)

4424: 色深く背なが衣は染めましをみ坂給らばまさやかに見む(妻物部刀自賣)

4425: 防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず(不明)

4426: 天地の神に幣置き斎ひつついませ我が背な我れをし思はば(不明)

4427: 家の妹ろ我を偲ふらし真結ひに結ひし紐の解くらく思へば(不明)

4428: 我が背なを筑紫は遣りて愛しみえひは解かななあやにかも寝む(不明)

4429: 馬屋なる縄立つ駒の後るがへ妹が言ひしを置きて悲しも(不明)

4430: 荒し男のいをさ手挟み向ひ立ちかなるましづみ出でてと我が来る(不明)

4431: 小竹が葉のさやく霜夜に七重かる衣に増せる子ろが肌はも(不明)

4432: 障へなへぬ命にあれば愛し妹が手枕離れあやに悲しも(不明)

4433: 朝な朝な上がるひばりになりてしか都に行きて早帰り来む(安倍沙美麻呂)

4434: ひばり上がる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく(大伴家持)

4435: ふふめりし花の初めに来し我れや散りなむ後に都へ行かむ(大伴家持)

4436: 闇の夜の行く先知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも(不明)

補足

更新日: 2024年11月24日(日)